1. 非常に多くの者たちが眠っています
2. わたしは二番目では満足しません
3. もはや歴史の流れを変えることはできません
4. 惨禍が未曾有の域に達します
5. わたしはいつまでもわたしの花嫁を待っているわけにはい きません
6. わたしの意向から外れると、すべての人は悪を行いま す
7. 人々はわたしの警告やわたしのことばが冗談であると思っ ています
8. どんなものでも偶像になりえます
9. わたしは口にしたことを守ります
10. あなたが救われることのできる方法は他にありませ ん
11. 教会は悪魔の遊び場です
12. 悪は安全であるべき場所にまで侵入しつつありま す
スーザンは預言の賜物を以って働いています。 コリント人への手紙 第一 第14章1節には「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」と書かれています。現在、私たちは新しい契約のもとに生きており、新約における神の指示に従うことになっています。 中には預言のような霊的賜物は廃止されたと信じている人々もいますが、それは人間の考えであって神のお考えではありません。神はその契約を変えてはおられません。私たちはまだ、新約とも呼ばれる新しい契約の時代に生きているのです。どうか、あなたが第一に専心するのは主イエス・キリストと聖書、特に新約聖書に書かれてある主の言葉に対してであることを理解してください。
常ながら、すべての預言は聖書に基づいて試される必要があります。しかし、預言が聖書に一致するものであるなら、私たちにはそれに従うことが期待されるのです。現在、神は預言を使って新しい教義を導入することはありません。預言は、神がすでに聖書の中で私たちに与えられていることを補強するために用いられます。神はまた、私たちに影響を与える未来の出来事について、個人的な警告を与えるためにも預言を用いられます。
旧約におけるのと同様に、神は現在私たちが置かれている新約の時代にも預言者を用いられます。使途の働きは新約聖書の中にある書ですが、そこにはユダとシラス(使途の働き 第15章32節)やアガボ(使途の働き 第21章10節)というような何人かの預言者の名が挙げられており、他の預言者たちも存在しました。預言者の働きについては、新約の時代においてコリント人への手紙 第12章28節、14章1節、29節、32節、37節、およびエペソ人への手紙 第2章20節、3章5節、4章11節でも言及されています。
イエスは神のために地上で働く預言者を選ばれます。とりわけ、イエスは神の望みを神の子どもたちに伝えるために預言や預言者を用いられます。聖書自体が聖霊の霊感によって預言的に書かれたものなのです。
中には、預言の言葉には、聖書に付け加えたり聖書から取り除いたりする危険があると言う人たちがいますが、聖書は預言を聖霊の賜物として語っています。聖書に付け加えられたり聖書から取り除かれたりするのは、聖霊によって言葉を授かる人々が受け取った付加的な預言の言葉によるのではなく、例えば、他の異教の信念から新しく非聖書的な概念を加えるために神の概念を変えることによって起こります。しかし、聖書における預言者の主な働きは、常に、人々を神のみことば、つまり聖書に立ち返らせることでした。
テサロニケ人への手紙 第一 第5章19節から21節に書かれているように、「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」メッセージを識別するには、その内容を聖書が語っていることと比べることです。
以下の預言は全て、私(書籍作成者マイク・ペラルタ)が個人的にこれらのメッセージを調べましたが、すべて聖書の語るところと一致しています。ですが、あなたがたご自身も聖書に照らし合わせてこれらのメッセージを調べなければなりません。そしてそれらが聖書に一致するものであれば、神は貴方がそれらのメッセージを心に留め、神の指示に従うことを期待されています。
訳注:救世主の名について
私たちの救世主は一般にイエス・キリストとして知られていますが、本書ではヤフシュア・ハ・マシアック(Yahushua Ha Mashiach)という呼称が用いられています。
ヤフシュアというのがメシアの実名であることは、こちらのウェブページで説明されていますのでご参照ください。http://www.eliyah.com/nameson.htm 以下は同ページを日本語訳したものです。
メシアの本当の名はヤフシュア
--------------------------------------------
***** ヘブライ語には[J]音がないため、ジョシュア(Joshua)=ヨシュア(Yoshua)あるいはヤフシュア(Yahushua)であることに留意してください。[J]音を伴った「J」は500年ほど前まで英語には入って来ませんでした。実際、1611年版欽定訳聖書の原文には「J」の文字は見つかりません。(証拠)
この学びの目的は、メシアの名前が「イエス(Jesus)」であったことは決してなく、「イエス(Jesus)」という名前が実際は人間の考案であることを示すことです。
欽定訳聖書には、その訳において興味深い問題が一つ見られます。
この聖句は救世主よりもむしろヌンの子ヨシュアを指しているのでは?その通りです。下記に別の例があります。
Hebrヘブル人への手紙 4:7 (KJV欽定訳聖書) Again, he limiteth a certain day, saying in David, To day, after so long a time; as it is said, To day if ye will hear his voice, harden not your hearts. 8 For if Jesus had given them rest, then would he not afterward have spoken of another day.
ここでも、文脈からこの聖句がメシアではなくヌンの子ヨシュアを指していることが明らかです。他の訳本はすべてここに「ヨシュア」を入れています。ではなぜ、「イエス」と訳されるのでしょうか。その答えは、メシアの元来のヘブライ語の名前がギリシャ語・ラテン語で変造されたことにあります。本来、メシアの名前は で、ヤフシュアと発音されました。これがメシアの本来の名前です。異邦人たちはメシアの名前をギリシャ語に字訳しようとしてAすなわち「Iesous」を考え付きました。しかし元来は、この言葉はヘブライ語で でした。Iesousがラテン語に字訳されたとき、それは「Iesus」となり、さらに英語に引き継がれ、「J」という文字が発展すると、現代の「Jesus(イエス)」となりました。
ですから、欽定訳聖書がそれら二つの聖句で「イエス」としている理由は、メシアの名前が実際はヌンの子ヨシュアと同じであるためで、正しくは「ヤフシュア」と発音されます。現代の「Jesus(イエス)」という形が、その名において弟子たちが祈り、洗礼を授け、伝道したことで大変な批判を受けていた元来の名前とは少しも似ていないこと は、かなりはっきりとしています。これは事実です。ご自分で調べて確かめてみてください。
世俗参考資料
Encyclopedia Americana(アメリカ大百科事典):
"Jesus Christ--- ...Although Matthew (1:21) interprets the name originally Joshua, that is, 'Yahweh is Salvation,' and finds it specially appropriate for Jesus of Nazareth, it was a common one at that time." (Vol.16, p. 41)
「Jesus Christ (イエス・キリスト)---…マタイの福音書(第1章21節)はその名を本来ヨシュア、つまり「ヤハウェは救い」と解釈し、ナザレのイエスに特に適切であると見なしたが、それは当時は一般的なものであった」(第16巻 41頁)
Encyclopedia Britannica (15th ed.)(ブリタニカ百科事典 第15版)
"Jesus Christ---...The same is true of the name Jesus. In the Septuagint it is the customary Greek form for the common Hebrew name Joshua;" (Vol. 10 p.149)
「イエス・キリスト---…同じことがイエスという名についてもいえる。七十人訳聖書ではそれは一般的なヘブライ語名ヨシュアの通常のギリシャ語形である。」(第10巻149頁)
宗教学者
Barnes' notes: (Note on Matt. 1:21)
(バーンズの注釈 :マタイの福音書第1章21節の注釈)
"His name is Jesus: The name Jesus is the same as Saviour. It is derived from the verb signifying to save. In Hebrew it is the same as Joshua. In two places [Acts 7:45 and Hebrews 4:8] in the New Testament it is used where is means Joshua, the leader of the Jews into Canaan, and in our translation the name Joshua should have been retained."
「彼の名はイエスである:イエスという名は救世主と同じであり、救うことを意味する動詞を語源とする。ヘブライ語ではヨ シュアと同じ。新約聖書では2箇所[使徒の働き(第7章45節)とヘブル人への手紙(第4章8節)]においてカナンに入るユダヤ人の先導者であったヨシュアを意味するところで使われており、我々の訳本においてはヨシュアという名が保持されるべきであった。」
Word studies in the New Testament(新約聖書単語研究), Marvin R. Vincent(マービン R. ビンセント)著---
"Jesus. The Greek form of a Hebrew name, which had been borne by two illustrious individuals in former periods of the Jewish History --- Joshua, the successor of Moses, and Jeshua, the high priest, who with Zerubbabel took so active a part in the re-establishment of the civil and religious polity of the Jews in their return from Babylon. Its original and full form is Jehoshua, becoming by contraction Joshua or Jeshua."
「イエス。ヘブライ語名のギリシャ語形。前期ユダヤ史における二名の有名な人物の名 --- モーセの後継者であるヨシュアと、バビロンからの帰還に際して、ゼルバベルと共にユダヤ人の市民政策と宗教政策の再構築に大変活躍した大祭司ヨシュア。元来の正式な形はJehoshua(イェホーシュア)。短縮されてJoshua(ヨシュア)またはJeshua(イェシュア)となる。」
The Acts of the Apostles, Jackson and Lake
(使徒の働き) Jackson ・ Lake(ジャクソン・レイク)共著
"Jesus--- This is the regular Greek translation of the Hebrew Joshua."
「イエス--- これはヘブライ語のヨシュアの標準ギリシャ語訳である。」
Smith's Bible Dictionary(スミスの聖書辞典):
"Jesus Christ ---- The name Jesus means Savior, and was a common name, derived from the ancient Hebrew Jehoshua."
「イエス・キリスト --- イエスという名は救い主を意味し、古代ヘブライ語Jehoshua(イェホーシュア)から派生した一般的な名前であっ た。」
A dictionary of the Bible, James Hastings
(聖書の辞書 , ジェームズ・ヘイスティングズ著 )
"Jesus -- The Greek form of the name Joshua or Jeshua. Jeshua ---- Yahweh is Salvation or Yahweh is opulence."
「イエス--- ヨシュア(Joshua)あるいはイェシュア(Jeshua)という名前のギリシャ語形---- ヤハウェは救い、あるいはヤハウェは豊か。」
Alford's Greek New Testament, An Exegetical and Critical Commentary(アルフォードのギリシャ語新約聖書、釈義的批評的注解書):
"Jesus -- The same name as Joshua, the former deliverer of Israel."
「イエス-- 先のイスラエルの救助者ヨシュアと同名。」
Encyclopedic Dictionary of Religion(宗教の百科事典):
"Jesus (The Name) --- Matthew's gospel explains it as symbolic of His mission, 'For he will save His people from their sins.' This agrees with the popular meaning as 'Yahweh saves...' " p.1886
「イエス(その名)--- マタイの福音書は彼の使命に象徴的であるとして説明する。『この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』これは『ヤハウェは救う…』とのよく知られた意味と一致する。」1886頁
Catholic Encyclopedia(カトリック百科事典):
"The Sacred Name ---- The word Jesus is the Latin form of the Greek "Iesous" which in turn is the transliteration of the Hebrew Jeshua, or Joshua, or again Jehoshua, meaning 'Jehovah is Salvation' " Vol. 8, p. 374
「神聖な名 ---- イエス(Jesus)という語はギリシャ語「Iesous」のラテン語形であるが、これはヘブライ語イェシュア(Jeshua)またはヨシュア(Joshua)あるいはイェホーシュア(Jeshoshua)の字訳であり『エホバは救い』を意味する。」第8巻374頁
Interpreter's Bible: (Note on Matt. 1:21)
(解釈者の聖書 :マタイの福音書第1章21節の注解)
"Jesus: for He shall save: The play on words (Yeshua, Jesus; yoshia, shall save) is possible in Hebrew but not in Aramaic. The name Joshua means "Yahweh is salvation"
「Jesus: for He shall save(イエス…この方こそ…救ってくださる方です):掛け言葉(イェシュア(Yeshua)、イエス(Jesus);ヨシヤ(yoshia)、救う(shall save))はヘブライ語では可能ですが、アラム語では不可能です。ヨシュア(Joshua)という名前は『ヤハウェは救い』を意味します。」
Matthew Henry's Commentary(マシュー・ヘンリ注解書)
(on Matthew 1:21マタイの福音書第1章21節について)
"Jesus is the same name with Joshua, the termination only being changed, for the sake of conforming it to the greek."
「イエスはヨシュアと同名であり、ギリシャ語に適合させるために語尾だけが変化されたもの。」
結論
そういうわけで、「イエス(Jesus)」はメシアが地上を歩かれたときの彼の名ではなかったと結論付けることができます。それがこの学びの目的です。なぜ私たちがメシアの本来の名前を使うべきかに
関する情報はこちらをクリックしてください.
2012年10月7日(日曜日)
主の御言葉:「わたしには手早く目を開ききることができません。非常に多くの者たちが眠っています。」
誠実にキリストに従う方々へ
子どもたちよ、あなたがたの主には、あなたがたにことばがあります:
この先にある日に関しては多くの混乱があります。中にはわたしの来臨が近いと信じている者たちもいます。そう信じる者たちは少なすぎます。このことを信じる者たちは足りないのです。多くの者たちは、この世界が彼らを未来にまで支えてくれるだろうと信じています。彼らはわたしに目を留めていません。わたしが、問題を抱えた世界、大いに問題を抱えた世界に対する唯一の答えなのです。
月日が暗さを増してきているのですから、あなたがたには心の準備をする必要があります。人類が角を曲がろうとしていること、深く暗い堕落へと向かっていることに間違いはありません。わたしはわたしの美しい花嫁を迎えに来るときに、反抗的な子どもたちをわたしと一緒に連れ出すつもりはありません。そしてわたしは来ようとしているのです!
わたしのなまぬるい教会と、彼らを迷わせた者たち、これらが最も悲しい思いをすることになる者たちです。世俗的な探求や、この世の偶像、また、あなたの心を迷わせるあらゆるものごとの何にも増してわたしを追い求める者たちよ、わたしの聖なる教会よ、失望してはなりません。
警告は減少してきています。わたしの来臨が近いからです。あなたを導いてくれるよう、この世の神々に頼るのはやめなさい。わたしが唯一の、真の、誠実な神なのです。見張っている者たちだけがわたしと共に来ることになります。教会よ、備えなさい。あなたがたの救いが目前に迫っています。
十字架に架けられたもの、
ヤフシュア・ハ・マシアック
主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月5日)
主の御言葉:
「わたしに対する嫌悪に満ちた世界をわたしが生き返らせることはありません。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月1日)
再び書簡を記す時が来ました:
子どもたちよ、わたしの再臨のための時刻が近づいています。わた しは急いで来ようとしています。
世界はますます暗さを増しています。このことが起こっているのを信じたがる者たちはわずかしかいません。多くの者たちは、この世にすがりつきたがります。わたしが行うと述べるところをわたしが行うことを信じたがる者たちは、わずかしかいません。わたしが真理の神であると信じたがる者たちはわずかしかいないのです。わたしはわたしの計画を明らかしにしており、それは実現しようとしています。
世界はいちじくの木のように枯れかけています。それは枯れます。罪の圧迫がそれを倒そうとしているのです。わたしはいちじくの木が枯れるのを許しています。実を成らせることのできないものが死ぬ時となりました。死にかけ、腐りかけている罪深い世の死を許す時が来ました。
わたしは生き返ることのできないものを生き返らせはしません。わたしに対する嫌悪に満ちた世界をわたしが生き返らせることはありません。わたしはこの世界が自らの終わりを遂げるのを許すつもりです。わたしはまだ命のある数少ない者たち、まだわたしに信頼する少数の者たち、完全にわたしにあって生きる者たちを連れ去ります。残りの者たちは、死にかけているいちじくの木の終焉に直面することになります。神であるわたしが、命を与えるわたしの手を引き離したら、世界がどのように見えるかということに。
後に残された者たちは、死にかけている惑星での生活がどのようなものであるかを確実に知ることになります。わたしはこの地に背を向け、それが罪と不正の腐敗の下に倒れるのを許します。暴動の支配が君臨することになります。これは神を知らない世界なのです。これが、後に残されたわたしの教会と、その神を拒絶する罪深い人 間たちに迫りつつある世界なのです。
これが訪れようとしている暗闇の時刻なのです。それは荒涼としていて不吉なものです。あなたには、わたしの導きの手に向かって 進むための昼間の時間が数時間しか残されていません。戸が閉まって、あなたのともしびが消え、闇が侵入してくる前に、素早くわたしの腕の中に飛び込みなさい。
あなたの神と和解しなさい。わたしの足もとにあなたの命を差し出しなさい。あなたの心と魂を明け渡しなさい。わたしの敵が侵入して昼の光を飲み込む前に、今わたしがあなたに与えられる時間はほとんどありません。獅子が吼えたけています。誰を食い尽くすことができるかと歩き回りながら。わたしの血であなた自身を守りなさい。わたしの尊い血があなたの唯一の希望です。
安全な場所までわたしについてきなさい。なにもかもが真っ暗になる前に、数分あります。わたしの愛に抵抗してはなりません。わたしの愛に屈しなさい。わたしが唯一の堅固なやぐら、人類を覆うとりで、救いの力なのです。
罪から逃れなさい。救いに向かって走りなさい。
これは人類への救い主、
永遠であり、誠実なるメシヤ、救い主です。
マタイの福音書(第21章18節~19節)翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
マルコの福音書(第11章11節~13節)こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。翌日、彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。
マルコの福音書(第11章19節~21節)夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月2日)
始めましょう:
わたしがあなたにことばを授けますから注意して聞きなさい。
わたしの子どもたちよ、あなたがたが知っているとおり、世界は急速に変化しています。地の上に膨大な暗闇が押し寄せてきています。わたしには手早く目を開ききることができません。非常に多くの者たちが眠っています。まもなく、邪悪なものがこの世界を思い通りにし、人々はぐっすり眠っているところに不意をつかれることになります。彼らは、支配しようとしている邪悪なものによってほとんど苦もなく連れていかれ、捕らえられることになるのです。
この地の上に苦しみが押し寄せてきていることに本当に注意してそれを目にしているのは、今は少数の者たちだけです。自分たちのともしびが満たされているようにと、また、自分たちの目が光によって、つまり、わたしの真理の光とわたしの聖霊とによって開かれるようにとわたしを追い求める者たちはほんの少数しかいません。啓示をするのは聖霊です。聖霊がともしびの油を満たし、真理を明らかにしてくれるのです。わたしの霊だけが、人々が神であるわたしに何も隠すことなく、しっかりとわたしのもとに来ることを可能にするのです。
わたしの霊の完全な満たしがなく、ともしびが十分に満たされていなければ、あなたには来ようとしている惨禍が見えず、あなたの方に向かって来ている困難を避けるための救済方法が見えないでしょう。あなたが備えられるのは、わたしのともしびの油、わたしの霊の充満によるのです。
満たされたともしびを持って、霊に満たされた生活を送るには、わたしの霊が入る余地をつくるために、あなたが自分自身を空にしなければなりません。あなたはあなたの魂からこの世の楽しみや欲望を取り出して空にしなければなりません。この世の探求はあなたの心を奪い、あなたの思いを支配し、あなたを満たし、あなたの神であるわたしのための時間が全く残らないようにするのです。
覚えておきなさい。わたしは妬む神です。わたしはあなたの人生において二番目の位置に落ち着くつもりはありません。その場所に、わたしは完全性をもたらし、安定をもたらし、愛と満足感をもたらします。あなたの足は堅い岩の上に置かれています。わたしの道には、移り行く影は全くありません。あなたは信仰によって神にあるあなたの土台を疑う必要はありません。
わたしは堅い礎の上にあなたの人生を築き、精神の安定を与えます。あなたの心は揺らいだり、二心になったりしません。わたしの臨在の中にとどまりなさい。そうすれば、わたしはあなたに神の平安を与えましょう。あなたは二度と心配する必要はありません。なぜなら、わたしの愛と安心があなたの上にそびえ、邪悪なものからあなたを守り、わたしが永遠の命と救いへの安全で狭い道をあなたに示すからです。
わたしの待ち受ける腕の中に駆け込みなさい。この世界は暗さを増し、反キリストの霊によって支配されつつあります。わたしはわたしの花嫁を安全へと連れ出します。あなたがわたしに心を注ぐなら、わたしはあなたをわたしの守りの翼の下で守ります。わたしは頼りにできます。わたしは信頼できます。恐れる理由は何もありません。わたしを知らない者たちだけに恐れることが多くあり、待ち望むことがほとんどないのです。わたしなしでは、わたしの血の覆いと強さの存在なしでは、すべての人は失われるのです。
わたしは、その神を愛するために、神であるわたしと過ごす時間の邪魔となる生活上の拘束や、人間の言い伝えから免れて歩もうとする人々を探しています。一方、あなたはあなたの時間を、あなたに与えられた自由な時間をどのように過ごすかを選ばなければなりません。それはわたしをもっとよく知るためですか。それとも、あなたは他の物事がわたしたちの間に入ってくるのを許しますか。
わたしには、わたしを知らない者たちをわたしの天の家に連れ出してくることはできません。このことを注意してよく考えなさい。あなたが決めるのです。わたしがわたしの教会を呼び出すときに、あなたはわたしと共に来ますか。それとも、居残って、人間の知る限りにおいて最悪の時を経験することにしますか。今が判断の時です。わたしの目薬を祈り求めなさい。あなたがわたしの純粋な血の覆いによってわたしの前に立つに価するものとされるために、わたしの真理ときよい心を祈り求めなさい。
わたしはあなたのためにわたしの父にとりなします。手遅れになる前に、今、わたしにあなたを救わせなさい。
わたしは人類の救い主です。
王の王、主の主。
「わたしはある」
テサロニケ人への手紙 第一(第5章6節)ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
マタイの福音書(第25章3節~4節)愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分の ともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
申命記(第4章24節)あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたむ神だからである
ヨハネの手紙 第一(第4章3節)イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
ヨハネの黙示録(第3章18節)わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
ヤコブの手紙(第4章8節)神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
なまぬるい教会の機械的な礼拝
2012年10月17日(水曜日)
主の御言葉:「今や歴史の流れを変えることはできません」
誠実にキリストに従う方々へ:
主は最近私にこの御言葉をくださいました。「情熱的でない愛は愛ではない。」主は続けて、なまぬるい教会の機械的な礼拝について、礼拝の間、教会の信徒席に座っている人たちがいかに機械的に お決まりの手順を踏み、その日の食事の準備のことや後で観戦するフットボールの試合のことを考えているかについて語られました。私は、カルバリーでありとあらゆる種類のおぞましさと苦痛を通して主がその全てを捧げられた日の、私たちの主の情熱のことを考えざるを得ません。本当に、天にまします神が、人類のためにこうすること以上に情熱的なことがありえるでしょうか。そして私は、キリストがなまぬるい教会に対して最終的に行うことの厳しい現実について、黙示録にある聖句のことを考えるのです。
ヨハネの黙示録(第3章16節)このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
世界のあらゆる状況が携挙の近いことを示している今、もしもあなたが主に思いを集中させていないなら、最近私が主からいただいた御言葉は、あなたにとって最も不安を引き起こすものであるはずです。主は私に、携挙される者たちは、ごちそうの横に並ぶ一口分のようであるとおっしゃいました。(本当です。私はこういう考え方はしません。)
そんなにも多くの人たちがなまぬるい状態にあって、主の再臨のための用意ができていない原因は何でしょうか。私は、それが明らかに、人を造られた主よりも、この世の方が彼らにより大きな影響力を持っているからだと確信しています。ここに挙げる聖句は、あなたが神と世の両方ともに、二人の主人に仕えることができないこと、受け入れられる第三の存在状態はないことを明らかに告げています。
マタイの福音書(第6章24節)だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方 を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
ヨハネの福音書(第17章14節)わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
ローマ人への手紙(第12章2節)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
コリント人への手紙 第一 (第2章12節)ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。
コリント人への手紙 第二(第4章4節)その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
聖書には、次の聖句のように、(見つける人の少ない)主への狭い道について語っている聖句が数多くあります。
マタイの福音書 (第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
人々がその人生においてキリストを最優先させることを阻むのは、世であり、また世にある偶像の礼拝です。人々がその人生において神を最優先させることを妨げる偶像のうち、思いがけないものをいくつかここに列挙します。
思いがけない偶像: 国に対する偶像礼拝 ― 子どもに対する偶像礼拝 ― 自分自身の将来の計画に対する偶像礼拝 ― 教会・宗教に対する偶像礼拝 ― 神の誤ったイメージに対する偶像礼拝(聖書をいくぶん信じるが、何を信じるかを選り好みすること)― 不安・心配・悩みごとに対する偶像礼拝 ― 偶像礼拝とは:娯楽、家族、キャリアといった世俗的な探求を含め、何であれ、あなたの最大の関心を神からそらすもの。
わたしの愛とわたしの警告とに関心を寄せる者たちはごくわずかしかいません
主の御言葉:
わたしの反抗的な子どもたちは、彼らを究極の破滅へと引きいれる反キリストの霊で満たされています。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月8日 )
始めましょう:
子どもたちよ、今日わたしはあなたがたに新しいことばを授けたいと思っています。
世界は確かに崩壊しつつあります。もしもあなたが気づいていないとすれば、それはあなたが見ていないからです。悲劇が起ころうと しています。それは大変悲劇的な戯曲です。わたしはこの戯曲を随分と前にわたしのことば、わたしの書にあることばに書きました。今あなたはこの物語が展開するのを見ているのです。それは紛れもなく起こっています。あなたはその物語の一部なのです...
あなたはこの終わりの日々における重要人物なのです。多くの者たちのことが書かれています。それはわたしを退ける者たち、わたしから離れる者たち、わたしの敵と世とに助けと答えを求めて行く者たちです。彼らはその心の中で、悪の統治と指導に頼っていっています。なぜなら彼らはそこに答えがあると信じているからです。もしもあなたが答えを求めて悪を受け入れるなら、これはすべて破滅に繋がっていきます。そして、あなたは悲しい結末を迎えることになるのです。あなたがわたしの光に答えを求めれば、あなたは救済、安全、保護を見いだすでしょう。
わたしの書にはまた、わたしの花嫁、つまりわたしの真の教会を代表する者たちもいます。彼女は、花婿であるわたしのために、他のすべてを捨てました。彼女はその心にある他の神々をすべて投げ捨て、ただ彼女の魂の師であるわたしだけを慕い求めます。わたしが紛れもなく彼女の心の指導者なのです。他の者たちはみな、他のわたしの敵の霊どもによって支配されています。それらは高慢の霊、中毒の霊、この世の欲の霊、神への冒涜の霊、恐れの霊、復習の霊、苦みの霊、許さない霊、姦淫の霊、魔術の霊、反抗の霊、殺人の霊です。
わたしの反抗的な子どもたちは、彼らを究極の破滅に引きいれる反キリストの霊で満たされています。彼らはただ、偽りの霊の言うことだけを聞きたがり、わたしの花嫁と真の教会の内に住むわたしの聖霊の口から出る真理のことばを聞きたがりません。
あなたの目で見ることのできる何ものにもましてずっと暗い戦いが 起こっています。この戦いはあなたの周り一帯で荒れ狂っています。それは、まさにあなたの魂のための戦いなのです。敵はあなたに対して周到な攻撃を開始しました。彼は、あなたがた、わたしの子どもたちが陥るべく、あらゆる罠を仕掛けています。油の満ちたともしびを持つことによってのみ、あなたはわたしの敵があなたのために設置した、隠された地雷を見ることができるのです。油の満ちたともしびを持つことによってのみ、あなたはこの先にある破壊を見ることができるのです。
あなたの光が弱く、あなたのともしびの油が満ちていなければ、あなたにはあなたが落ち込むべく設置された罠が見えません。完全に最大限にわたしに明け渡すことによって、あなたの霊のうちにわたしの霊の力を完全に働かせていなければ、あなたには戸口にまで来ていることを生き残ることはできません。完全な服従と引き換えに与えられる油の満ちたともしびが光であり、来たるわたしの救いに繋がる狭い道への進み方を照らす真理なのです。この完全な服従、すなわち自己への死だけがあなたの霊を空にし、わたしの霊があなたのうちに入ってあなたのともしびを満たし、わたしの敵によってあなたを死なせるために置かれた地雷や大きな罠を見るための目を与えるための場所を空けるのです。彼はあなたを殺し、盗み、破壊するために来ます。彼の頭には、わたしの子どもたちを皆破壊することしかありません。多くの者たちが彼の手に陥ってしまっています。もうまもなく、さらに多くの者たちが彼の手に陥るでしょう。
わたしはあなたを愛しているから、あなたに警告しています。わたしの愛とわたしの警告に関心を寄せる者たちはごくわずかしかいません。彼らは私の敵によって、また、この世の雑音や雑念によって大いに欺かれています。あなたは世とその雑音から別れて、あなたの神に対して静まらなければなりません。静かな隠れた場所でわたしを知るようになりなさい。その場所でわたしはあなたにわたしの心を明かし、わたしの書の頁を通してあなたを真理に導くことができるのです。
この時刻は終わろうとしています。わたしの嘆願を受け入れなさ い。わたしがあなたに投げかけているこの命綱を受け取りなさい。それは釘に刺されたわたしの手、そして血まみれのわたしの十字架なのです。これはわたしの救いです。これが神であるわたしが人類のためにしたことです。わたしの愛だけが、人類の満たされていない必要のすべてにとって十分であり完全であるのです。
謙遜に服従して、真剣な悔い改めをもって来なさい。わたしの顔を慕い求めなさい。わたしはあなたを許し、新しくしましょう。そしてあなたは永遠に続く美、わたしの国でわたしと一緒になるのです。
わたしにはあなたをつかみ、連れ出す用意ができています。あなたは来ますか?
これは憐れみ深い神、
子羊であり獅子なるもの。
テモテへの手紙 第二(第3章16節~17節)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
箴言(第1章24章~33節)わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。それで、わたしも、あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。恐怖があらしのようにあなたがたを襲うとき、災難がつむじ風のようにあなたがたを襲うとき、苦難と苦悩があなたがたの上に下るとき、そのとき、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを捜し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れる ことを選ばす、わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮ったからである。それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分のたくらみに飽きるであろう。わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。
サムエル記 第一(第15章23節)まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」
ヨハネの福音書(第10章10節)盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
詩篇(第91章1節)いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
主の御言葉:
「もはや歴史の流れを変えることはできません。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月10日)
始めましょう:
子どもたちよ、わたしは永遠の神です。わたしは国々を支配します。
わたしは、わたしのものをわたしと共に連れて行くために来ようとしています。わたしは、わたしの花嫁のための場所を備えました。それはわたしの天にある素晴らしい場所です。
まもなく、用意ができている者たちは来ようとしています。彼らは、彼らのためにわたしがつくった住まいに住むために出て来ようとしています。そこには、楽しみに待つべき素晴らしいものごと、言葉では言い表せない美しさがあるのです。
わたしの子どもたちよ、わたしの来臨にどのように備えるべきかをわたしがあなたに教えますから、注意して聞きなさい:
わたしはあなたに完全にわたしに服従してほしいのです。
わたしはあなたに心から誠実にわたしに悔い改めてほしいのです。
わたしはあなたにやり残すことなく、周りの人たちすべてを許してほしいのです。
わたしはあなたに、あなたの神との本格的な関係と引き換えに世俗的探求を手放して、わたしの聖霊の完全な満たしを受けてほしいのです。わたしを知るために来なさい。わたしと共に時間を過ごしなさい。何も隠さず、わたしにあなたのすべてのすべてを捧げなさい。
あまりにも多くの者が残されて、わたしの敵の手に落ち入っていく、著しく崩壊していく世界と向き合うことになります。あなたにはわたしと富の両方を愛することはできません。あなたはどちらかを愛し、他方を憎むようになります。わたしのなまぬるい教会が信じているようにあなたが両者を手にすることはないのです。
もはや歴史の流れを変えることはできません。邪悪な指導者たちが至るところにおり、世界は崩壊し始めています。あなたは決めなくてはなりません。わたしが呼び出すとき、あなたは出て来ますか。あなたはわたしを選びますか、それともわたしの敵と彼が支配する世界を選びますか。
破滅が地に来ようとしていること、そして、これは世が彼らの神の代わりに悪を受け入れることを選んだためであることをあなたに納得させるために、わたしには何ができるでしょう。
至る所に非常に多くの悲しみがあるのに、どうして人々はこの世界に彼らのための答えがあると信じているのでしょうか。そこここにある悪や悲しみの何にそんなに説得力があって、わたしの愛、神の愛があなたには十分ではないと思わせるのでしょうか。
わたしにはあなたの人生のための計画があります。それはあなたに希望と未来を与えるためのものです。しかし、あなたがわたしを選ばないならば、わたしはあなたをわたしの天に連れて入ることができません。服従は完全で最大限でなければなりません。そうでなければ、わたしたちは別々の道を歩むことになり、あなたは突然の破 壊の中で失われてしまうかもしれません。
わたしを選んで、わたしにあなたの魂を救わせなさい。わたしは救い出す神です。わたしはノアの時、ロトの時、モーセの時に救い出しました。そしてわたしは再び救い出します。
わたしは偉大なるものです。
「わたしはある」
詩篇(第66章7節)神はその権力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を監視される。頑迷な者を、高ぶらせないでください。 セラ
エペソ人への手紙(第6章12節)私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ルカの福音書(第17章26節~30節)人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。
テサロニケ人への手紙 第一(第5章3節)人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、そ れをのがれることは決してできません。
イザヤ書(第13章11節)わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。
マタイの福音書(第13章22節)また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
下記の主からの重要な書簡はメール配信登録者のハフサ・ラシッド(Hafsa Rashid)さんが授かったものです:シャローム。わたしはこの書簡によってあなたが祝福され、さらに主イエスに近づかれることを希望しています:
「わたしの身請けした花嫁を引き取るために、この地にわたしがまもなく降りてくる時が、今、来ています。わたしの花嫁とは誰ですか。それはその衣を、しみやしわひとつなく、清らかに清潔に保っている人のことです。汚さないで保ち、この世の快楽を望まなかった人、それがわたしの花嫁です。
多くの者は眠っており、わたし抜きで自分たちの将来の計画を立てています。あなたが第一に愛するべきものが何であるかについて、わたしの言葉は非常にはっきりとさせているのに、わたし抜きであなたはどうやって将来の計画を立てるのですか。どうしてそんなことが可能なのでしょう。それとも、あなたはわたしが真理であり、道であり、いのちであることを忘れてしまったのでしょうか。
あなたが自らを取り囲んでいる悪を見ることができないほどに、わたしの敵はあなたを盲目にしてしまったのでしょうか。わたしのことばは、悪魔が食い尽くす者を探すと語っていませんか。(ヨハネの福音書(第10章10節)盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺した り、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。)
叫んで、わたしを捜し求めなさい。そうすれば、わたしはわたしの霊を放ちます。すると、この世がいかにわたしに敵対してしまったかがあなたに見えるように、この目の覆いが外れるでしょう。わたしには、これ以上わたしのものがわたしに敵対するのを見続けることはできません。それでも、わたしは大きな代価を支払ったのです。わたしは、まさしくわたしの子どもたちの手の中で、悲惨な死を遂げました。しかもなお、あなたはまだ、これを何でもないことと見なしています。
目を覚ましなさい、眠っている者よ。時は近いのだから。わたしの敵の手に陥らないように見張っていなさい。わたしのもとに来る意志がある者たちのために、扉はまだ開かれています。わたしは戸の外に立って叩いています。聞いて開ける者たちには、わたしは入ってきて彼らの内に住みます。わたしの呼びかけを退ける者たちは、わたしがわたしの花嫁を取り戻しに来るとき、わたしもまた彼らを見捨てます。
ああ、眠っている花嫁よ、起きなさい。自らの結婚式の用意をしている花嫁が、いったいどうして眠っていることができるでしょうか。彼女はその人生のうちでもっとも美しく輝かしい日のために、花婿と一体となるために、準備をして、自らを備えているはずではありませんか。代価は支払われています。衣はまだ汚れています。わたしの花嫁よ、自らを清めなさい。わたしはただ清らかな、しわやしみの全くない花嫁とだけ式を挙げることができるのだから。こ れがわたしが迎えに来る者です。
目を覚まして見張っていなさい。わたしの来臨の日は近づいているのだから。」
このメッセージは2012年10月10日午前1時に与えられました。
シャローム、ハフサ・ラシッド (Hafsa Rashid)
読者からの手紙と幻: スーザン姉、本日十月十日、私は天から現れた金色の冠を見ました。それは見えなくなるまで回転していました。それを見たのは私だけでした。これは何を意味するのでしょうか。私は知りたいと思っています。どうかご返信ください。神が貴方を祝福してくださいますように。
この幻に関する主からの御言葉:これは真にわたしの来臨のしるしです。わたしは、わたしを求めて見上げている王家の花嫁を迎えに来ようとしています。他の者たちはみな残されます。あなたはこの幻を信用してよいのです。これは確かなものです。
わたしの心―ここだけがあなたの安全な場所です
2012年10月25日(木曜日)
主の御言葉: 「あなたがわたしに背き、わたしの意向のうちにいないならば、あなたはわたしの敵に味方しているのです。」
誠実にキリストに従う方々へ:
マタイの福音書(第22章1節~5節 )イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
最近、私は、私たちの発行する「終末ニュースレポート」(End Times News Report)の最新号の見出しを読み返していて、驚かされました。そして私はこう思いました。「これらの見出しを実際に目にしながら、私たちが終わりの時に入っていること、主の再臨が差し迫っていることが分からないということが、ありえるだろうか」と。世界大戦が起こりかけていて、イスラエルはその動きのまさに中心にいます。けれど、主が再臨される時は、聖書によると、人々は穏やかな日常を過ごしていることになることを忘れないでください。それでも、キリスト者や教会の牧師たちは、いまだに、将来何年先もここにいることについて語りたがります。しかし、これもまた、人々が不意をつかれることになるという聖書の預言なのです。大多数の人々が...
主の御言葉:
「目を開いて、すっかり反キリストのやり方や信条へと移り変化していく世界を見なさい。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月18日)
娘よ、わたしです。あなたの天の主です:
その時刻はだんだんと近くなっており、わたしはさらに近づいてきています。わたしの来臨が近いことには疑問の余地がありません。わたしがわたしの子どもたちをわたしの天の新しい家へと、安全な場所へと取り去った後には、楽しみにすることが本当にたくさんあるのですから、わたしは彼らに絶望して欲しくないのです。
わたしの裾の下には安全があります。ここが、あなたが安全である場所です。あなたが他の場所で安全を見つけることができると思ってはなりません。わたしのこころの直中に来なさい。ここだけがあなたにとって安全な場所なのです。安全への場所は他にありません。他の場所はすべて、破滅と永遠の喪失とに繋がっています。あなたはなぜ、この世界の問題に対する答えを常に求めているあなたの切望する心への答えが世にあるという考えに、そこまで固執するのですか。
この世のあり方に屈服してはなりません。一時的には、それはとても正しいことのように見えますが、わたしの意向から外れた世の嘘と欺きとに連れ去られることをあなたが自らに許すならば、あなたの破滅は確実で成立しています。あなたの終焉は確定し、あなたの終わりは確実なのです。
狭い道を導いていくわたしの意向、わたしの道、わたしの真理だけが、聖さと平安のわたしの王国における永遠の命へとあなたを導くことができるのです。そちらには、あなたをわたしから引き離そうとする世界があります。それはあなたの気をそらせ、あなたを騙すために、わたしの敵によって考案されています。そのすべてから離れなさい。わたしの狭い小道へと努力して進みなさい。
わたしはわたしの来臨をこれ以上はあまり遅らせません。世界は非常に暗くなっています。まもなくあなたは、あなたの顔の前にあるあなたの手を見ることができなくなります。悪と闇とがそれほど濃くなるでしょう。 闇はあなたを取り囲んでいます。目を開いて、すっかり反キリストのやり方や信条へと移り変化していく世界を見なさい。わたしの美しい世界と真理とは、まもなく、世界中を突き進んでいく反キリストの霊によって弾圧されることになります。
わたしの花嫁は取り去られ、残された者たちは、人類が経験したことのない、この上ない腐敗と恐怖とに直面することになります。あなたにはこの悪夢を避けることができるのです。あなたの主にしがみつきなさい。わたしの裾の下に駆け込みなさい。あなたの目と耳が真理に対して開かれるために、すべての真理を求めてわたしに向かって押し進んできなさい。今があなたの神を知る時です。後ではありません。後では手遅れになるのです。
完全に服してわたしに顔を向けなさい。すべての罪をわたしに悔い改めなさい。あなたの周りの人たちへの愛と赦しをわたしに示しなさい。わたしの霊の満たしを求めてわたしのもとに来なさい。わたしの霊はあなたを平安と安全、健全さと癒しとに導いてくれます。
世界は腐敗し、崩壊しかけています。まもなく、それは消えかかっていく燃えさしとなるでしょう。わたしと共に、保護される場所へと出て来なさい。わたしは謙遜な救い主、わたしの名はホサナ、崇高なる力です。
ヨハネの福音書(第12章25節)自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
マタイの福音書(第23章37節)ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたし は、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ヨハネの手紙 第一(第4章3節)イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
主の御言葉:
「あなたがわたしに背き、わたしの意向のうちにいないならば、あなたはわたしの敵に味方しているのです。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月19日)
わたしのことばを聞きなさい。これらのことばを書き留めなさい:
この世界は混沌に陥ろうとしています。それは、わたしの敵の混沌です。それは悪の混沌です。平安、愛、守りはすべて神から出ています。悪は無秩序、混乱、反乱を生み出します。これが、わたしの神の国とわたしの敵の悪の国との違いなのです。
あなたがわたしに反した選択をするなら、あなたが他にどのように信じたとしても、あなたはわたしの敵の味方なのです。あなたがわたしに背き、わたしの意向のうちにいないならば、あなたはわたし の敵に味方しているのです。教会に出席し、信心深く見える人たちでさえ、彼らがなまぬるく、己の道に迷っているならば、悪魔なのです。わたしのことばがそれを語っていませんか。
あなたには、数限りない言い訳をしてわたしの意向から離れて走り、かつ、わたしたちの関係がすべてうまくいっていると思い込んで自らをなだめることもできますが、そう信じていた多くの者たちは今地獄にいるのです。悪魔とのダンスは色々な様相を呈し得ます。だから彼は大変に欺瞞的で狡猾なのです。たとえあなたが自分のことをいかに正しいと思っていても、わたしの意向から離れていては、あなたはわたしの敵のために働いているのです。ほんの少しのパン種がかたまり全体を損なうのです。
わたしの聖い霊の完全な満たしがなくては、あなたが肉にあってこの世でこの罪を克服することはできません。多くの者がそうではないと信じてやってみるけれども、そうなのです。多くの者が自らの努力のうちに死に、地獄に入ることになります。非常に多くの者たちが、わたしたちの関係がすべてうまくいっていると信じ込んでわたしの臨在のもとに入ってきますが、彼らの人生のためのわたしの完璧な意向から外れては、死と破滅と永遠の地獄があることを発見するだけなのです。
あなたがわたしの完璧な意向のうちにいるかどうかは、どのようにして分かるでしょうか。
道は一つしかありません。わたしのもとに来て、完全に服従しなさい。あなたの将来の計画も、あなた個人の意志も含めて、すべてをわたしに捧げなさい。わたしがあなたをわたしの尊い血で覆い、わたしの聖い霊で完全に満たしましょう。わたしの霊で完全に満たされるように求めなさい。自分自身を注ぎ出しなさい。自分に死になさい。わたしの霊をあらん限り受け取るよう求めなさい。謙遜に服従して、わたしをあなたの師とし、主としなさい。これなくして は、あなたはまだわたしの敵の奴隷なのです。彼があなたの父であり、罪があなたの師であり、あなたはその意図するところを行い、わたしの王国に背いてその命令に従っているのです。
わたしが羊飼いです。わたしの羊はわたしの声を聞き、わたしの羊はわたしの声、わたしの意向を知っています。わたしの羊はわたしの意向を行い、地と、そして居残る反抗的な者たちとを訪れようとしている恐怖からわたしがわたしのものを救うために来るときに、わたしは彼らを助け出します。後に残る者たちには恐怖が襲いかかります。ですから、今、完全に服従してわたしのもとに来なさい。聖なる神に対してなされたあなたの悪を悔い改めなさい。あなたの周りの者たちを許しなさい。許さなければ、あなたがわたしの国に入ることはないからです。
わたしは、完全にわたしの意向のうちにとどまりたい者たちのためだけに来るのです。これらが、しみや、よごれ、しわのない衣を受け取るためにわたしが要求することです。
手遅れになる前に、あなたの衣を整えるため、わたしの婚宴にふさわしい衣服を着るために、今、来なさい。ふさわしい衣服を着た者たちだけが出席することになるのです。わたしがあなたに謙遜と義をまとわせ、まもなく訪れるわたしの救出のためにあなたを整えましょう。
その時刻は近づいています。現時点からわたしが地へ進入するまでの時間は休息に減ってきています。わたしは数多くの警告を与えています。聞いている者たちはごくわずかしかいません。安全な場所へと取り除かれる者たちは非常に少ないでしょう。あなたの衣をわたしの血で洗いなさい。
わたしの再臨のための時刻が近づいています。 暗やみが地の上に迫ってきています。
わたしは人間ではなく偽りを言うことのない、
人類の永遠の救い主です。
ヨハネの福音書(第6章70節)イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」
ローマ人への手紙(第3章13節)「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
ヨハネの黙示録(第7章14節) そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存知です」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を子羊の血で洗って、白くしたのです。
ヨハネの福音書(第8章44節)あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
ガラテヤ人への手紙(第5章9節)わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。
ヨハネの福音書(第10章27節)わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
民数記(第23章19節)神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。
実例:悪に投票すること
現在非常に多くの人たちが二つの悪のうちでましな方を支持することの正当性を信じていますが、なぜキリスト者が悪に票を投じることができないかということについて、私はとても率直に発言してきました。私がしばらく前に主からいただいた実例を提供したいと思います。
主は、霊的な領域を見通すという驚くべき賜物を持っている私の息子を通して、私にあることを掲示してくださいました。私の息子がまだ14歳だったとき、私たちは外食に出かけました。レストランで、私の息子は、4人の大人に付き添われたある十代の子に自分の聖書を渡さずにはいられない気持ちにかられました。その4人の大人たちは、彼らが反キリストカルトとして知られるエホバの証人であることを理由に、その若者が私の息子の聖書を受け取ることを許しませんでした。その5名の人たちは私たちの近くの丸テーブルについていましたが、食事中、ハッとした私の息子が目をやって、突然4人の大きな悪魔が見えたと私に教えてくれました。それらはそれぞれの大人の背後に一人ずつ立ち、その若者の後ろには背の低い悪魔が立って、その手を若者の頭の上に伸ばしていたというのです。
ヨハネの手紙 第二(第1章10節~11節)にこう書かれています。あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行いをともにすることになります。
この聖句を念頭に置くと、エホバの証人のようなカルトに従事しているような人たちをあなたの家に連れて来ないというのは、当然のことでしかありません。彼らは、主が私の息子を通して私に啓示されたように、直接悪魔に影響されているからです。あなたが調べてみれば、バラック・オバマのイスラム教推進に並んで、ミット・ロムニーが信奉するモルモン教カルト(彼らは主の兄弟がルシファーであると信じています)も、断固としてエホバの証人と全く違いはないのです。それらは反キリストのカルトなのです。すべて、キリストの福音とは甚だしく異なっています。
さて、主がこの他に私に明らかにされたことは、時の初め、悪が世界に入ってきてアダムとイブが善悪の知識の木から食べた時にさかのぼります。キリスト者たちは、アダムとイブが悪の知識を食べて悪が世に入ったことを理解しています。しかし、善の知識についてはどうでしょうか。ここでいう善の知識とは、世界は神の完璧な意向のうちから離れても善い行いをすることができるという概念なのです。例えば、よこしまな人たちが善を行うと、誰しもその善を受け入れますが、これは本当は良くないことです。それは、よこしまな人間が、自分たちには神から離れて「善い行いをする」ことができる、よこしまな世界は神の権威を必要としない、また神なしで、自分たちの肉にあってうまくやっていけると宣言することなのです。それが善の知識です。創世記(第2章17節)しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
これが、キリスト者たちがモルモン教のカルトに浸かりきっているミット・ロムニーに票を投じるとき、彼らがまさしく奉じようとしているものなのです。彼らはミット・ロムニーが彼のカルトの基 盤、(悪魔に取りつかれた)モルモン教の視点を通して善を行うことができると信じたがり、人間のねじれた基準によって、良い、また倫理的であると見える限りは、全てが良いと信じたがります。ところが、この考え方で全てが良くはないのです。それは、キリスト者たちが悪から目を背けて状況の如何に関わらずキリストに頼る代わりに、希望を求めて世と、人間の伝統とに後戻りしているだけなのです。
私は、私たちのテーブルの近くに座っていたエホバの証人たちに付き添っていた悪魔を見たという、私の息子のただならぬ発言を思い起こさずにはいられません。私たちはキリスト者として、その計略が邪悪な基盤から組み立てられている指導者を、どうして支持することができるでしょうか。コリント人への手紙 第一(第10章21節~22節)あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。
邪悪な支配者たちに投票することに関しての主からの御言葉:
子どもたちよ、わたしです。あなたがたの主です。
あなたがたは行き詰っています。あなたがたは壁に突き当たっています。あなたがたには良好な候補者が一人もいません。これは偶然ではなく、わたしの計画によることです。わたしがこの葛藤を作ったのです。わたしは、起ころうとしていることをあなたに直視して欲しいのです。あなたの世界は崩壊しようとしています。それは、世界がわたしに背を向けてしまったからです。自らをわたしの名に よって呼ぶ者たちでさえも。彼らは世に取り入ってしまい、今やその成り行きにしたがって生きなければなりません。これが、神に背を向けると生じることなのです。あなたには良い選択肢が一つもなくなるのです。あなたが悪に票を投じるなら、あなたには悪しかありません。二つの悪のましな方があるとあなたが信じるなら、あなたはまだ悪をいだいているのです。このことの何が分からないのですか。わたしはあなたがわたしに顔を向けざるをえなくしようとしています。わたしに立ち返り、手遅れになる前にわたしの足もとにあなたの命を差し出しなさい。あなたが答えを求めてまだこの世に執着しているなら、わたしはあなたを連れて行きません。世はわたしに敵対しています。わたしのことばがそれを語っていませんか。答えを世に求め、あなたがこの世と結婚するならば、わたしがわたしの花嫁を迎えに戻ってくるときに、わたしはあなたを認めず、あなたは後に残されることになります。あなたがどうしてよいか分からないなら、わたしはあなたにこう言わなければなりません。その答えは、わたしの前にひざまずいて、わたしの再臨に備えることです。 これはあなたの全能なる神です。
主から10月12日にスーザンに語られた御言葉。
世界は崩れかけています。
2012年10月31日(水曜日)
主の御言葉:「世界は崩れかけています。それはバラバラになりかけています。わたしは、わたしの手を引っ込めようとしています。」
誠実にキリストに従う方々へ:
「あなたが携挙に備えるにはもう手遅れでしょうか」
私は度々、人々から彼らの救いについて、また間もなく訪れる携挙のための準備について文面で尋ねられます。彼らは、過去の罪深い生活のせいで、もう自分たちには手遅れになっていないかどうかを知りたがるのです。そこで、来たる携挙に備えるにはもう手遅れなのではないかと悩んでいる方々にとって慰めとなる言葉をここに挙げておきます。
ローマ人への手紙(第3章9節~10節)にはこう書いてあります。では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。それは、次のように書いてあるとおりです。
義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」
神を拒絶したことは誰にもあります。しかし、使徒の働き(第16章14節)にあるルデヤのように、主は彼女の心を開かれました。
使徒の働き(第16章14節)テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
今日、あなたが神を慕い求めているならば-神があなたをご自身のもとに引き寄せておられなければ、あなたは神を慕い求めてさえいないはずです。
ヨハネの福音書(第6章44節)で主がおっしゃいます。わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ですから、今日、心得て主のもとに来てください。遅すぎることはありません。あなたが救われることは主のお考えなのです。罪を悔い改めてください。あなたのすべてを主の途方もない愛に委ねてください。用意ができて真理を見抜くために、油の満ちたともしびを受け取るよう求めてください。あなたの救いは確実なものとなりえるのです。今日でさえも!
主の御言葉:
「世界は崩れかけています。それはバラバラになりかけています。わたしはわたしの手を引っ込めようとしています。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年10月26-27日)
わたしにはあなたにことばを授ける用意があります:
世界は崩れかけています。それはバラバラになりかけています。わたしはわたしの手を引っ込めようとしています。わたしは、わたしの守りの手を緩め、地から退却しようとしています。わたしは、わ たしに従うことを拒否する者たちを、地を支配する権力者に返そうとしています。人々がわたしに背を向け、その心を硬くしたために、わたしは彼らがわたしの敵の支配下に抑えられるのを許しています。彼らはその主に従うことを拒否し、世に目を向け続けます。
まもなく、わたしはわたしが獲得した妻を引き取りに来ます。わたしは彼女の花嫁料を支払いました。わたしがすべて支払ったのです。それは法外な値段でした。彼女にはそれだけの価値があり、わたしはもう一度最初からやり直したって構いません。しかし、十字架で流されたわたしの血には力があり、悔い改めて完全にわたしにその命を委ねる罪人たち、すなわち、完全に明け渡し、悔い改め、そしてわたしの聖い霊で満たされることと、あなたの命をわたしの霊の内在と交換することを求める者たちのために、すべての罪を覆うのです。
わたしの子どもたちよ、あなたがたは知らなければなりません。この世界は、わたしの敵とそのやり方によって、また聖なる神に抑制されず自由気ままに振舞う邪悪な人間たちによって維持されることはできません。それでいて、これが非常に多くの者たちが信じることなのです。彼らがこのように考え続けるなら、彼らの滅亡は確実です。
わたしには、求める人には誰にでも新しい命を与える用意があります。わたしは、聖なる神から引き離されて死にかけている世界の痛みと悲しみに苦しむすべての人々に、永遠の命をもたらします。神の愛から離れることからは、何も良いものは生じません。
あなたがわたしとの関係を回復するための時間は短いのです。用心しなさい。わたしはいい加減に扱われてよい神ではありません。この世は、わたしがもはや我慢することのできない悪の銘柄を推進しています。
書簡の続き2012年10月27日
娘よ、続けましょう:
子どもたちよ、なぜあなたがたはわたしのことばをそんなに疑うのですか。なぜ、わたしの書を読んでそれをそのように疑うのですか。あなたには、わたしのことばが実現しているのが見えませんか。世界が悪に走っているのが見えませんか。これは地球の隅々で起こっています。生ける神に背を向けていない場所は地上に一つも残されていません。すべてのものがわたしを拒絶します。わたしは、わたしの真理、わたしの教え、わたしの道の理解において拒絶されてきました。
人々はその肉を愛するために、わたしを拒絶します。彼らは、わたしのことばが語るところに反して、その肉と現世的なあり方とに譲歩したがります。わたしのことばは、悔い改めなさい、許しなさい、あなたの主に完全に服従し、完全に自分に死になさいと語っています。これは彼らの世俗的な願望に反します。彼らは真理を持とうとせず、その耳がわたしの聖なる霊からの真理の教えを聞くことを妨げてしまっています。聖霊のみが真理を教えてくれるのです。この真理は、あなたの救い主であるわたしに完全に服従することによってのみ得られる、わたしの霊の完全なる満たしによってのみ到達することができるのです。
あなたがあなたのすべてをわたしに明け渡し、全面的にわたしをあなたの主とし、師とし、あなたの心に完全にわたしの霊を受け取ることを求めると、わたしの霊があなたのうちに宿り、あなたの道をまっすぐにし、あなたをすべての真理、そしてわたしの道、またあなたの人生のためのわたしの意向の理解へと導いてくれます。これが起こるまでは、あなたはなまぬるく、部分的に満たされているか、またはわたしの霊に欠けており、わたしのことばと真理に関す るあなたの理解は損なわれています。あなたは彼ら自身がわたしの意向から外れている人間の教えを受けることになり、わたしのことばに関するあなたの理解は間違ったものとなります。わたしの霊は、あなたの人生に完全に最大限に受け入れられた時にだけ、わたしのことばと真理に関する正確な解釈をあなたに与えることができるのです。そうしてやっと、あなたはわたしのことばを理解し、それをあなたの人生に効果的に適用することができるようになるのです。これには完全な明け渡しとあなたの肉に死ぬことが必要となります。
あなたは、あなた自身のためにこれを欲することを選ばなければなりません。あなただけに決めることができるのです。他の誰にもあなたの代わりにそれをすることはできません。ちょうどあなたがわたしの裁きの座に一人で立つように、あなたは自分自身の救いに責任があるのです。今日、決めなさい。あなたはわたしのもとに来てわたしのものとなりますか。それとも、あなたはわたしを拒絶しますか。この選択はあなたのものです。あなたがだれに仕えるのか、今日選びなさい。生ける神にですか、それとも神の敵と永遠の死に仕えますか?
わたしの再臨の時刻が近づいています。わたしがわたしの花嫁を受けるために現れて、彼女を安全へと送り出すときに、あなたは誰に属しているでしょうか。
わたしはあなたの答えを待っています
生ける神
生きているものの神
ルカの福音書(第20章38節)神は死んだ者の神ではありません。生 きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。
エペソ人への手紙(第6章12節)私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ヨハネの福音書(第12章31節)今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
ヨハネの福音書(第12章40節)「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」
ローマ人への手紙(第8章6節)肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
ルカの福音書(第14章27節)自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
コリント人への手紙 第一(第2章10節~13節)神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
ローマ人への手紙(第14章10節)それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
ピリピ人への手紙(第2章12節)そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
聖霊がどのように教えるかについての説明:
http://www.takehisheart.com/holyspiritspiritualthings.htm
スーザン・デイヴィス様、私はアメリカ合衆国フロリダ州のクリスチャン・パレス・インターナショナル・ミニストリーのアンドレ・コウフィ・アクレ (Andre Kofi Akyere)と申します。私は、夜、終わりの時についての幻を与えられ、その解釈のため、そしてアメリカに警告するために、これを貴方に送付するよう導かれました。
2012年10月26日、私は夜、幻を与えられました。私はアメリカの地図の上方で天と地の間に立っていました。私には一つの雲が見えました。雲の真ん中には焼き尽くす火がありました。そして雲が開いて、火がアメリカの西海岸を破壊し始め、東海岸では洪水が地に押し寄せ始めました。水から出た主要な霊が三つあり、私は自分自身が地に戻り、それらの陣営でそれらと戦っているのを見ました。主は私にエレミヤ書第25章15節~22節をくださいました。主の声が私に来て、これはわたしの憤りとさばきであると告げられました。彼らは深刻な性的不道徳から悔い改める必要があります。
スーザンは、2012年10月30日に、やはり主の御声を聞くドナ・マクドナルド (Donna McDonald)さんから、この言葉への確証を受けました:そうです、わたしの娘よ。わたしには、この兄弟と彼の預言に関してあなたに言葉があります:
これらの言葉は真実です。火が西海岸を焼き尽くし、水が東海岸を飲み込みます。他に類のない火と水があるでしょう。警告に留意して、わたしとの関係を正しなさい。悔い改めて、危険を顧みないで暴走する貨物列車のようにわたしに向かって来なさい。これはあなたの主であり救い主なるヤフシュアです。アーメン
2012年11月4日(日曜日)
主の御言葉:「この国はわたしに背を向けてしまいました。」
誠実にキリストに従う方々へ:
多くのキリスト者たちにとって、アメリカでの今回の選挙運動のための新しいスローガンは「二つの悪のましな方に投票する」というものです。さて、主要なカテゴリーが二つあります。一つは、史上で最も非聖書的な大統領であり、二つ目は、長年に渡って反キリストのカルトに浸かってきた候補者です。私は、それが私たちの主がルシファー(サタン)の兄弟であるという考えを信奉するカルトであることを付け加えておきたいと思います。
たぶん、この難局における問題は、「二つの悪のましな方」に投票するべきだと感じているキリスト者たちが、その状況に近すぎることかもしれません。彼らはここに発生していることが、バラック・オバマとミット・ロムニーという二人の人物に関するものだと考えているようですが、実際はそれよりもずっと大きなことなのです。それは、非常に邪悪で反キリスト的になってしまい、神に反する指導者を自らの上に立つものとして完全に選んでしまった文化に関することなのです。
あまりにも多くの人たちが、彼らが神ご自身にまさって選んだもの、つまり彼らの異教の神であり偶像である「アメリカ」を支えるために、二つの悪のましな方を選んだほうがよいと信じています。今や多くの人たちの異教の神であり偶像となっているアメリカは、邪悪な、神に反する哲学と生き方を代表しています。それらは性的不道徳であり、神への軽視と冒涜であり、反キリスト的視野であり、理非を問わない物質主義、オカルトとサタン崇拝、ニューエージ哲学などです。
アメリカはその真の指導者であるサタンの表象です。どうしてそれが分かるのかと?私たちは、その実によって知ることができます。テレビをつけてみてください。映画に行ってみてください。書店に行ってみてください。ニュースを聞いてみてください。繁栄を信奉しても聖霊の存在を拒絶する巨大教会に行ってみてください。
ミット・ロムニーはバラック・オバマの代わりの選択肢です。彼は非常に清廉潔白に見えるために、非常に多くのキリスト者たちを満足させているようです。しかしながら、ロムニーはその競争相手と同じくらいに危険な悪の銘柄を世に出しているのです。ロムニーはまさに主の時代のパリサイ人たちのようです。彼らは非常に順法精神があり、清廉潔白で神の代表であるように見えました。しかし、主はこれに意義を唱えられ、彼らのことを白く塗った墓と呼ばれました。それがロムニーとそのモルモン教カルトのあり様なのです。それは白く塗られた墓なのです。
欺かれている多くの人たちは、自分たちはその教会の指導者の投票をしているのではないのだから、ミット・ロムニーとその異教の経歴とに国家を運営するための票を投じてもよいではないかと言います。そうです。あなたがたは教会の指導者を選んでいるのではありません。核兵器を監督し、軍を管理する人を選んでいる、ただそれだけのことです。明白で単純なことです。あなたがこれらの候補者のどちらかを選ぶなら、それは双方ともそれ相当に邪悪なのであって、あなたがどう考えたとしても、そのことについて満足するよう自分自身に言い聞かせたとしても、あなたは神に反する票を投じて いるのです。
アメリカ合衆国はそれにふさわしい札を配られているのです。そのように悪にあふれる文化社会となりながら、神が過去にこの国に非常に豊かに与えられた祝福をもって、不意にその文化に見返りを与えてくださると、どうして期待できるでしょうか。神は聖書の中で、神の意を拒絶することの結果を非常に明らかにされています。それに、私たちは本当に、社会として私たちが身を落としてしまったこの悪に対し、神に報酬を与えてもらいたいでしょうか。それは神が誰であるかということと、神が象徴するものとに反するでしょう。そして、神は明らかに悪に報酬を与えられることはありません。
マタイの福音書(第23章27節~28節)わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
スーザンへの主からの預言の言葉 2012年10月25日午前11時44分:
わたしはアメリカ合衆国の上にあるわたしの力強い手を緩めます。彼らは、自らの上にもたらした悪から立ち直ろうとしません。この国はわたしに背を向けてしまいました。汚臭と悪臭がわたしの王座の間にまで昇ってきました。この国は回復されうると信じていますが、それは深く沈み過ぎてしまっており、今や、わたしのさばきに直面することになります。かつて真理と自由にあってわたしの名を呼んだこの地に、さばきが訪れようとしています。これらの人々は悪の腕の中に駆け込み、わたしの栄光と真理の代わりに、邪悪さと反抗を望んできました。わたしは破壊をもたらします。そして、わ たしの花嫁だけが逃れることになります。彼女だけが安全な場所に連れ出されることになるのです。かつては神を愛したが、今やあらゆる形態の悪を愛するこの地に、破壊が訪れようとしています。わたしのことばがこれらの言葉を証言します。
スーザン D.への主からの預言の御言葉 2012年10月25日午後1時25分:
そうです。その文化社会はわたしの花嫁から離れてしまいました。彼女は狼の野に一人残されて立っています。彼女は単独で、なおもわたしに従っています。その間にも、彼女の周りの皆はいまだに悪を追いかけています。彼らがそんなにもひどく悪を信奉したがるのなら、彼らはわたしの真理から離れていっているのです。彼らは悪とわたしの両方を手にすることはできません。私たちは、善が悪と呼ばれ、悪が善と呼ばれる時代に生きています。彼らが悪を追求するならば、彼らはわたしの花嫁ではありません。わたしの花嫁の優れた判断力は、聖霊から直接来るのです。
ドナ・Mへの預言の御言葉 2012年10月27日午前1時52分:
そうです。わたしの娘よ。わたしには上記のメッセージに関する言葉があります。それらはわたしの言葉であり、わたしは、皆に見えるように、特に私の花嫁である者たち、この邪悪な選挙において票を投じるべきだと信じているわたしの選ばれた者たちに見えるように、あなたにそれらの言葉を電子メールで送り出して欲しいのです。悪に悪を足すと、悪が生まれます。それはわたしの花嫁にとってはどちらにしても不利なことです。彼女がこの選挙で票を投じるなら、わたしは彼女をわたしの花嫁と呼ぶことはできません。これ はわたしの真理であり、あなたはそれを頼りにすることができます。全能の神、ヤフシュア アーメン
スーザン・Dへの主からの御言葉 2012年10月27日午後4時7分:
主よ、花嫁が選挙で票を投じるとどうなりますか。
わたしの娘、スーザンよ。わたしはあなたに言葉を授ける用意があります。これらがその言葉です:
花嫁は、そのような活動に時間を無駄にするべきではありません。これは大変な時間の無駄です。花嫁はどのような形態の悪にも投票することはできません。彼女が悪を支持するなら、彼女はただ悪を得るのみです。これら二人の候補者たちを通しては悪が得られるのみです。彼らは激しくわたしに敵対します。一人の方がもう一人よりも良さそうに見えますが、これはわたしの敵の企みによるのです。彼は偽装によって光の天使として来ます。それは良さそうに見えても、やはり悪なのです。わたしのことばと真理をいかなるようにも変えることは、その元来の意味を変造することです。この候補者は、偽りとわたしの真理の変造とを象徴します。人々には彼がとても正しそうに見えるので、彼らは欺かれています。彼が属するこのねじれた宗教には正しさなど全くありません。それはわたしの真理をおとしめるものです。わたしの花嫁は嘘や欺きに票を投じることはできません。彼女はわたしを支持するか、それとも世を支持するかのどちらかです。ここが今、線が引かれるところなのです。世があまりにも邪悪になったために、あらゆるものが変えられます。わたしの真理を追い求める者たちは非常に少ないのです。ほとんどの人たちが世に執着し、迷い出しています。これらはわたしのことばであり、それは信頼できるものです。
主の御言葉:「わたしがその門です。わたしが狭い道であり、出口なのです。 」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月1日)
娘よ、よく聞きなさい:
世界には多くの暗雲が発生してきています。その雲は、情熱を持ってわたしに従うわたしの子どもたちの周りに集まってきています。
わたしは、わたしのものを見守っています。わたしは約束を守る神です。わたしは、わたしの花嫁を守ります。彼女がわたしの敵に触れられることはありません。彼女が完全にわたしのものであり、わたしに向かって押し進んできている限りは。彼には彼女の魂を奪い去ることはできません。彼女の魂は永遠にわたしのものであり、わたしの霊が彼女の霊を守ります。わたしたちの霊はひとつです。わたしの妻とわたしとは。これは計画によるのです。世界の基が置かれたときに構築された永遠の計画であり、誰にもわたしの手からわたしの真の花嫁を抜き取ることはできません。
彼女は堅い岩の上に立っており、わたしがその岩なのです。わたしがすべての平安、保障、安全、幸福の源です。わたしだけが健全な土台を供給します。わたしは嵐の直中で、平穏と安らぎをもたらします。わたしは荒れ狂う心の波を静めます。わたしは大いなる贖い主であり、慰め主です。あなたがわたしの監督と保護のもとにいるなら、心配はいりません。その他はすべて流砂であり、移り行く影なのです。
世の中は独力でいくには困難すぎます。わたしの敵が、つきまとって破壊することのできる者を探して歩き回る獅子のように、あなたの周りに潜んでいます。わたしの意向の直中で安全に憩う者たちだけが、安全を見出します。わたしの意向にあって、そこに安らぎを得る者は皆、その魂の救いと、神との正しい関係を見出し、混乱した人間の世界で彼らの身の回りに荒れ狂う波に対する反発力を見出します。わたしがわたしを慕い求める者たちに惜しみなく与えるわたしの安らぎを通してのみ、世は渡っていくことができるように思 えるのです。
子どもたちよ。あなたがたは、今、わたしに近づいて来なければなりません。あなたがたは、わたしの広げた両腕の中に飛び込んでこなければなりません。罠から解放されたヘラジカのように、速やかに来なさい。あなたの自由に向かって走りなさい。わたしがその門です。わたしが狭い道であり、出口なのです。わたしによってのみ、あなたは自由を見出すことができるのです。わたしの血によってのみなのです。他の扉はすべて地獄につながっています。多くの者たちが、わたしを求めなかったために地獄にいるのです。
来て、あなたの飢えた魂のための救いを見出しなさい。わたしがあなたの渇いた霊に水を与えましょう。わたしがあなたの思いとあなたの心に癒しをもたらしましょう。あなたを覆うように流れるわたしの愛の波だけがあなたを運んでいきます。わたしの愛は、味わい楽しむためにあなたの前に置かれたごちそうです。わたしの敵は、初めに甘いものをあなたに与えるかもしれませんが、それはすぐにあなたの死につながる苦い毒となるのです。
あなたの答えのすべてをわたしに求めなさい。わたしの敵によってあなたのために敷かれた罠から逃れなさい。彼は時間が足りないことを知っており、あなたを破滅させようと決意しているのです。聖なる神の意向に背いたあなたの罪の人生に見合った裁きからあなたを守るために、わたしだけがあなたに与えることのできるわたしの血の覆いで、あなた自身を救いなさい。耐えがたい死の十字架の上でわたしがあなたのために支払った贖いだけが、あなたが宇宙の最高審判者であるあなたの神と顔と顔を合わせる時に、支払われるべきあなたの罪の負債をまかなうのです。悔い改めることのない心を持ち、わたしに敵対して立ち上がる者たち、彼らのためにわたしが完全に支払った負債を認めず、受け取らない者たちすべてに対し、わたしの聖なる名の真実性が立証されることになります。衝撃と狼狽が、彼らがその人生の申し開きをするその日に、彼らの神と顔を合わせたときの彼らの反応となるでしょう。すべての者がわたしの前に立ち、その人生の申し開きをすることになるのです。わたしの花嫁は栄光と誉れを受け、わたしの敵は死と永遠の破滅を受けることになります。
あなたはどう選びますか。
わたしに尊敬を示し、へりくだりなさい。わたしにすべてを明け渡しなさい。罪の人生を悔い改めなさい。あなたの周りの者たちを皆許しなさい。何ひとつ差し控えることなく、わたしの霊にあなたの人生に入ってくるための全権利を与えて、あなたの人生を引き受けてくれるよう、わたしの霊を招き入れなさい。今わたしのもとに来なさい。あなたの時間はすり抜けていっています。わたしの警告は確実なのです。
これはあなたの神です。
あなたの魂を愛するもの…人類すべての救い主です。
ヨハネの福音書(第10章27節~30節)わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。」
マタイの福音書(第7章25節~27節)雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを 聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
詩篇(第116章7節)私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ヨハネの福音書(第4章13節~14節)イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
詩篇(第119章103節)あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
ヨハネの黙示録(第20章12節)また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
あなたは聖霊のバプテスマを受けていますか。
聖霊のバプテスマは水のバプテスマとは異なることをご存知ですか。
マタイの福音書(第3章11節)私は、あなたがたが悔い改めるため に、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と人のバプテスマをお授けになります。
使徒の働き(第10章44節~48節)ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年5月4日)
わたしだけがあなたをわたしの意向のうちにとどめておくのに必要な力を与えます。肉は神の意向にうまくとどまることができません。どんな人であれ、わたしの力によってのみ、わたしの意向のうちを歩むことに成功できるのです。肉にはこの務めを果たすことができません。それは聖霊の力なのです。
部分的な服従では、その個人をわたしの霊の支配力の下に連れて来るためのわたしの霊の完全な満たしが割り当てられません。そのため彼らは、悪や罪をうまく避けてわたしの意向のうちにいることができないのです。彼らは「なまぬるく」、失われたものとみなされます。部分的な服従は「服従」ではありません。間違えないようにしなさい。部分的な服従は、神であるわたしを公然と否定するのと 同様に、死につながるのです。
悔い改めが、その人の服従への「鍵」となっています。彼らがまだ、自分たちには罪がない、或いは、自分たちには許しの必要がないと信じているなら、どうして彼らをまだ支配している悪から解放されることができるでしょうか。
罪に対する良心の呵責が癒しの始まりです。心、魂、霊の癒し、すべてが相互に関連しているのです。悔い改める心、謙虚な心が、その魂の救いを受けることができ、バプテスマによって聖霊を受けると同時に、わたしの王国に入るのです。
これは悪霊から自由の身になるためにその人を自由へと解放することの一環となっています。それは、過去の罪に対する本物の悔恨であり、聖なる神の前で罪を認めることであり、それから、わたしの霊に満たされ、個人の主そして師としてのわたしとわたしの道に全面的に服従することです。
それ以外の発現はすべて弱く、効果がありません。その人は、わたしの敵の力から解放されるためには完全にわたしに服していなければならず、その個人が罪を克服しながらわたしの霊の力に満たされてわたしの意向のうちに歩んでいけるよう、議論の余地なしにわたしが彼らの主人でなくてはならないのです。それまでは、その個人は、その人生において優位に立っている罪に首尾よく対処することはできないのです。これが「狭い道」です。その他の道はすべて破滅につながります。
申命記(第30章19節)私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
あなたのともしびの油は満たされていますか。主は、来たる教会の 携挙において、主に「売り渡され」て聖霊に満たされている者たちだけを連れて行かれます。(花婿が来るとき、ともしびに油の満ちた五人の娘たちだけに用意ができていたのを思い出してください。) もしも、あなたがこの世の物事にとらわれているために自分は主に「売り渡されて」いないと思っても、あなたが主を知り、主に従うことを執拗に求めることに今すぐに取り組むなら、時間はまだあります。あなたはまず聖霊の「バプテスマを受け」、満たされなければなりません。
あなたは今すぐに聖霊によるバプテスマを受けることができます。ここに提案してある祈りに沿って祈ることができます。「わたしは父と子と聖霊の御名において洗礼を受けることを、主の御名において祈ります。わたしは頭のてっぺんから足の先まで完全に満たされることを祈ります。わたしは、わたしの霊の目が開かれることと、うろこが落ちることを祈り、また、主イエスを大胆に証しすることと、わたしのともしびの油がいっぱいに満たされることを祈ります。わたしはわたしのすべてを主に捧げ、聖なる神の御前でなされたこれらのことを心の底から後悔し、わたしのすべての罪を悔い改めます。」(すでに聖霊によるバプテスマを受けている人に祈ってもらうこともできます。)
これはあなたの心の態度に関わることなので、どこかに行く必要もないし、何かをする必要もありません。ただ祈ってください。そうすればあなたは誠実な心を通して受けるでしょう。あなたの人生を主に完全に明け渡し、あなたのすべての罪を主に悔い改めてください。あなたが聖霊によるバプテスマを受けることを願うなら、今ここで止まって、祈ってください。上記に提案してある祈りを祈ることもできます。間違いなく、あなたには失うものは何もなく、得る ものしかありません!受けることを祈ったら、「押し進み」、聖書を読んでください。あるいは、聖書をもっと読み、もっと祈ってください。断食もお勧めします。というのは、食べ物、食事、あるいはiPod、テレビや映画、世俗的な探求といった何らかの楽しみや、何であれ私たちが行うものを絶つことによって、私たちは「私たちの肉に死ぬ」からです。
断食は決してイエスの血による救いの代わりとなるものではありません。それはただ、私たちが私たちの肉に死んでいることを意味し、これは、より一層個人的な親密さを増すためのもの、祈りを通して答えを求めるためのもので、主に喜ばれることです。一方、救いは神からの無償の贈り物であり、人間のいかなる犠牲行為によっても獲得されるものではありません。以下にあるのは、聖霊から与えられる二つ目のバプテスマ(もう一つは水のバプテスマであり、水のバプテスマは聖霊のバプテスマの前にでも後にでも起こりえます)を裏付ける聖句です。
マタイの福音書(第3章11節)私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
マルコの福音書(第1章8節)私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。
ルカの福音書(第3章16節)ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
ヨハネの福音書(第1章33節)私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『御霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
使徒の働き(第1章5節)ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
使徒の働き(第11章15節~16節)そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました。
デボラ・メリッサ(Deborah Melissa)による終末預言の無料書籍:
第1巻:「The Final Call」(最終コール)― 花嫁について、また、主が花嫁について語られること
www.smashwords.com/books/view/118164について
第2巻:「The Exodus」(出エジプト)― エジプトからの脱出 と、いかにして約束の地(ミレニアム)に入るかについて
www.smashwords.com/books/view/118176
第3巻:「わが息子ダビデ」― ミレニアムにおける「支配者と統治者」について。キリストと共に支配し統治する者たちについて。
www.smashwords.com/books/view/118181
2012年11月11日(土曜日)
主の御言葉:「わたしには、わたしの王国への鍵を差し出すことしかできません。わたしにはそれらをあなたがたの手に無理やり押し付けることはできないのです。」
誠実にキリストに従う方々へ:
わたしが終日主の御声を聞くようになってから、主は神に従うことについて、私に簡潔に「ヨナ」の教えをくださいました。私はその時、私の母の介護付き住宅にいましが、息子を学校に迎えに行くために出かけようとして、その建物のエレベーターに向かっていました。私は時間に遅れていました。エレベーターのそばの広間のあたりに高齢の女性が一人いたのですが、主は私に主からの言葉をその方に伝えるようにとおっしゃったのです。私は、息子を迎えに行くのに遅れているからそうすることはできませんと主に言ってしまいました。信じられますか。
すると主はとても 落ち着いて私にこうおっしゃいました。「娘よ、わたしはあなたが行くことを許可します。」
さて、その次に起こったことには驚かされました。 わたしがエレベーターに足を踏み入れるや、部屋を挟んでエレベーターの反対側にいた、わたしが話をすることになっていた(けれど、そうしなかった)女性が、間髪いれずに椅子から飛び上がり、扉が閉まる前に部屋を横切ってエレベーターに向かって一直線に突進してきたのです。この女性はエレベーターで私のすぐ隣に立っていました。私は、目が飛び出でるくらい驚きながらも、主に、「私に彼女と話をさせたいのですね」と言いました。すると、主は「そうだ」とお答えになり、この女性のための言葉を私に与えられました。その言葉はその方にとってとても意味のあるものでした。
神から逃げたヨナがくじらの腹の中で学んだように、あの日、私は教訓を得ました。その教訓とは、神に何かをしなさいと告げられたら、神に従うということです。ちょうど、私が主のために公開するこれらの書簡のように、私はそのために大変悲しい思いをします。しかし、だからといって、人々がどう考えたり、何を言ったりするかに関わらず、私が主に背くことができるわけではありません。
「獣のしるし」
それでは、あなたがたに伝えるために 主が私に明らかにしてくださったことについてお話したいと思います。私は「獣のしるし」について語りたいと思います。多くの人々の意見や、多くのミニストリー(聖職)関係者たちの意見にも反して、それは主によると、RFIDチップのことです。ほとんどの人々が、現行のマイクロチップが獣のしるしであるという真実が偽りであると証明したがります。それは、主の来臨がそこまで間近になっているかもしれないという考えが彼らには気に入らないからであり、RFIDチップが実際に獣のしるしであるとすれば、それは私たちが主の来臨のすぐ戸口にいるということになるからです。(現在「マーク」としても出 回っている)RFIDチップは、聖書の描写にぴったりと一致します。それはRFIDチップのように、額か右手に取り付けられて、売買のために用いられることになっています。
非常に大ぜいの人たちが、RFIDチップは実際のしるしの「前兆」に過ぎないと言っていますが、実際のしるしが聖書の描写に合致するしるしの2代目、あるいは3代目のものとなるとは、聖書のどこにも書かれていません。これは偽りなのです。
ヨハネの黙示録(第13章17節)また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
主は、現在あらゆるものがバーコード化されており、それがこのチップがこの符号化で機能することを意味しており、そのたった一つの「しるし」に適応させるために、あらゆるところ(軍や、医療現場、小売業界)でバーコード化が確立されてきていることを明らかにすることによって、RFIDチップが「獣のしるし」であることを私に示されました。ですから、このチップを受けてもよいと人々に信じさせることは誤りであり、悪でさえあるのです。
私は、これらの嘘を広めてもよいと思っているミニストリー関係者に尋ねたいのです。このチップがしるしに関する聖書中のあらゆる基準に完全に一致しているのに、このチップには問題がなく、おそらく獣のしるしではないと偽って告げることによって、他の人々の永遠の救いを危険にさらす許可を一体誰に与えられたのかと。すでに、何千人、場合によっては何百万人もの人々がチップを埋め込まれています。
さて、私は続けてこのRFIDの「しるし」について、主が私に示されたことで、他に非常に説得力のあることを明かしたいと思います。「獣のしるし」に関する主からのこの驚くべき夢の啓示と、オバマ大統領のチップ導入に関するこちらの YouTube をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=lcLqHcl8M20
それから、神ご自身によって与えられたこの夢の啓示が
あったがゆえに、以下の図表・リンクに導かれました:
http://www.federalnewsradio.com/pdfs/cisco_federal_healthcare.pdf
こちらのオバマケアの図表では、一人の軍人が病院内を移動していき、この軍患者がそのRFIDマイクロチップ上にある記録を通して様々な部署で医療サービスを受けているのが見受けられます。(図表中、このテクノロジーを紹介するのに軍人が使われていることにご注目ください。こちらの記事で、兵員にマイクロチップを埋め込もうとする軍の計画についての詳細を知ることができます:
http://www.mobiledia.com/news/134354.html
最終的には彼は帰宅し、RFIDマイクロチップを通して遠隔から検査を受けることができています。この図表にはオバマのロゴマーク・紋章が入っており、オバマ医療保険制度の一環となっています。その医療保険制度の法案が、2000頁にわたる公文書内に深く隠されたマイクロチップ要素をともなって通過した日に、オバマは「地面は裂けなかった」とほのめかして神をあざ笑いました。
主が私に示された驚くべきことは、聖書にある三つの短い言葉「HE CAUSETH ALL*(彼がすべてを引き起こす)」のうちにありました。これは信じがたいことです。マイクロチップが人物追跡のために利用可能である、また、そうなるという布告と法的権利を押し出しているのはオバマケアプログラムです。それで、「獣のしるし」が最初に表面化するのを私たちが目にするのはオバマ主導によるのです。「HE CAUSETH ALL*(彼がすべてを引き起こす)」彼が創始するのです。彼がそれを引き起こしているのです。
ここで聖書が語っていることを理解するために、「cause」という動詞の標準的な定義を見てみましょう。それは、何かを起こさせること、たいてい何か悪いことです。オバマケアプログラムと現在のアメリカ政権のように、その名がこの構想に結び付けられた者は、今日まで他には誰もいません。
Revelation 13:16 (KJV): And he causeth all*, both small and great, rich and poor, free and bond, to receive a mark in their right hand, or in their foreheads:
ヨハネの黙示録(第13章16節)また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印をうけさせた。
また、この技術がいつ人々に強制されるかに関する世間の見解や憶測を、主の再臨のためにあなたがいつ用意をしなければならないかについてのあなたの意見や考えに影響させないでください。結局は神が掌握しているのであり、携挙がまず起こり、マイクロチップの使用を最前線に押し出して世界を反キリストへの服従へと引き戻すのです。
人間の予定表では、チップの到来が極めて近くなってきているのですから、今が、携挙が起こるのを注意して見る時なのです。今、真剣になって主の再臨に目を見張る時が、また、人々を地獄に定める目的でサタン自身によって生み出された、その時ではないと示す偽りの情報すべての正体を暴く時が、断固として来ているのです。
*(訳注)本書の原文中に使用されているKing James Version(欽定訳聖書)でRevelation 13:16(ヨハネの黙示録 第13章16節)に記されている ”He causeth all” の三語に相当する句は、日本語の聖書では新改訳聖書、口語訳聖書、新共同訳聖書のいずれにも見当たりません。
主の御言葉:
「わたしの真理を求めなさい。真理を見る目を祈り求めなさい。そして間もなく世に接近しようとしているもの、つまり無制限の悪を見る目を祈り求めなさい。」
私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月7日
そうです。わたしたちは始めることができます:
わたしのことばは以下の通りです。それはわたしの子どもたちのためのものです:
子どもたちよ、わたしはあなたがたにわたしのことばを聞いてもらいたいのです。わたしは真理の神です。それは永遠の真理です。わたしは、わたしが向かって行っている方角をあなたがたに明言してあります。わたしはあなたがた、わたしの子どもたちの目を覚まそうとしているのです!
あなたには、近づいてきている暗やみの時刻が見えますか。それはわたしの再臨の時刻へと急速に動いています。わたしは約束をし、それらを守る神です。わたしは口にしたことばを守ります。わたしのことばは、わたしが言った通りに成就します。わたしの書を読んで調べなさい。
子どもたちよ、まもなくわたしは、人類がこれまでに見たこともない最悪の惨禍がこの地を襲うことを許そうとしています。それは惨事に次ぐ惨事となります。
わたしの花嫁が取り除かれた時点で、その惨禍は未曾有の域に達し、後に残された者たちは自分たちが何に直面しようとしているかを悟り、無類の後悔をすることになります。わたしをその救い主として知っていると断言する者で、わたしの敵の手から逃れる者は一人もいません。皆、わたしの敵に背いてわたしと連携することで、傷つけられ、刺し通されることになります。わたしを愛する者たちの死滅は確実です。花嫁が安全へと取り出された後では、わたしのものであると断言する者たちのために意図された悪を逃れる者は、だれひとりとしていないのです。今わたしを知って、わたしの花嫁の一員となった方がよいのです。
あなたが、ただあなたの命を差し出してあなたのすべてをわたしに委ねるなら、これはあなたのものになり得るのです。わたしに完全に献身しなさい。世とそれが表すすべてのものに反して、わたしを選びなさい。あなたが世にある間に犯した罪を悔い改めなさい。あなたの周りの人たちを許しなさい。わたしの聖なる霊の満たしを求めなさい。わたしの書を通してわたしを見出そうと努めなさい。あなたの決断を他の人たちに宣言し、あなたがわたしの犠牲を通して知っている愛のことを他の人たちに告げなさい。
引き換えに、わたしはあなたに永遠の命を与えましょう。わたしはわたしのいのちの書にあなたの名を記しましょう。わたしはあなたに新しい名と、新しい心と、あなたの霊のうちに住むわたしの霊を与えます。そして、あなたはわたしの聖なる霊によって証印を押されるのです。今や、わたしのもとに来るための時間は、ほんの少ししか残っていません。悪が立て続けに地の上を進んで来ているのですから、先延ばしにしない方がよいのです。あなたがわたしの花嫁の一人であるなら、あなたの贖いの時刻は近いのです。
来なさい。論じ合いましょう。わたしの真理を求めなさい。真理を見る目を、そして間もなく世に接近しようとしているもの、つまり無制限の悪を見る目を祈り求めなさい。暗い嵐雲が生じてきています。わたしの子どもたちを破壊することを望んでいるわたしの敵の罠に不意にかかってはなりません。
このことばはあなたのためのものです。それをあざ笑ったり退けたりしてはいけません。あなたのただひとつの望みに頼りなさい。
あなたの救い主
主キリスト
イザヤ書(第45章7節)わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」
申命記(第32章4節)主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。
マルコの福音書(第13章20節)そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。
ヨハネの黙示録(第20章4節)また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしを神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印 を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
ヨハネの黙示録(第3章5節)勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼らの名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼らの名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
ヨハネの黙示録(第2章17節)耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』
ローマ人への手紙(第12章2節)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
エペソ人への手紙(第1章13節)この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
主の御言葉:
「わたしには、ただわたしの王国への鍵を差し出すことしかできません。わたしにはそれらをあなたがたの手に無理やり押し付けることはできないのです。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月9日)
子どもたちよ、わたしです。あなたがたの主です。わたしは今、あなたがたに話しかけたいと望んでいます。
邪悪な人間たち、その神を退ける人間たちに対するわたしの怒りと憤りの一噴きを、わたしの鼻腔からこの地に下す時が来ようとしています。世は、わたしの聖なる感覚にとって不快なものとなってしまいました。わたしは、もはやそれに喜びを感じません。わたしはそれを見ることに少しも喜びを見いだしません。わたしの花嫁だけがわたしに喜びを与えます。それは、どんな犠牲を払ってもわたしを追い求める、わずかに選ばれた数少ない者たちです。地球を支配しようとしている暴虐からわたしがまもなく解放するのは、これらの者たちです。
わたしの大切な花嫁は、この世界を凌駕しようとしている悪から守られ、傷を受けることはありません。わたしにはこの世界がとめどなくその腐敗の中で転げまわるのを、これ以上黙って許すことはできません。もうじき、人がその創造主であり最高主権者である聖なる神に逆らって成した選択に対し、全面的な報いが来るのです。
人がわたしを信じないことを選んでも、そのことで、わたしが存在し、すべての者がわたしと顔を合わせることになるという事実が変わることはありません。それは、一人ひとりが、わたしの血の覆いと無償の救いによってわたしの永遠の栄光に入るのか、あるいは死、破壊、永遠の罰と向き合うのか、わたしの聖なる顔の前でその人生の申し開きをするためです。
あなたがあなたの神と顔を合わせて、わたしか、或いはわたしに反してか、あなたの人生の決断の裁きに直面するためにわたしの前に 立つ日には、あなたの魂の行く先には二つの可能性しかありません。わたしの天におけるあなたの魂のための永遠の救いと憩いを受けるか、あなたの人生のための神の意向を退けたことへの罰の報いを受けるか、これが地上におけるあなたの人生の結末となるのです。
非常に多くの者たちが、その地上での人生の絶頂期に、わたしと顔を合わせる準備が全くできていない状態でわたしの前に立ち、自分たちが永遠にわたしの王国の外側にいることに気づいて、わたしに逆らう選択をしてきた自分たちの生涯の結末に震え上がります。魂の永遠の保護につながる狭い道を選ぶ者たちは、ごくわずかしかいません。敵の欺きは深く広範にわたります。そして破滅への道は広いのです。わたしの狭い救いの道を歩いていく者たちは、わずかしかいません。
ほとんどの者たちは、わたしの無償の救いのための犠牲を払いたがりません。わたし、ヤフシュアが、人の救いのために代価を支払ったのに、それに応えて進んで世を手放し、そのすべてを明け渡し、その意志をわたしの意向と取り換え、自分の十字架を負おうとする者たちは、わずかしかいません。ほんのひとにぎりの者たちだけが、至難であるように見えるものが結局のところは最も容易な道であることを悟るのです。耐え抜いて、この失われた世界への恐れとそのあり方への欲望に打ち勝つ者たちは、数少ないのです。
わたしには、ただわたしの王国への鍵を差し出すことしかできません。わたしにはそれらをあなたがたの手に無理やり押し付けることはできないのです 。あなたが、この邪悪な世界に心惹きつけられ ることと、それに関する強い欲望から解放されたいと思わなければなりません。あなたにしか、あなた自身のために選ぶことはできないのです。他の誰にもできません。多くの人たちがあなたの心を動かそうとするかもしれませんが、あなただけが、わたしをとるか、わたしに背くかの決断をしなければならないのです。
あなたが安全へとわたしの血の覆いの下に走ってきて、あなたのすべての道でわたしを追い求め、あなたの周りの人たちすべてを許し、後悔と悔い改めの心をもってわたしにあなたのすべてを明け渡すための時間は、あなたには少ししか残っていません。わたしのことばは完全です。人間の言葉にあなたの時間を無駄にしてはなりません。あなたの心をきよめるために、わたしの真理のことばを求めなさい。
あなたの霊の内をわたしの霊で完全に満たすことによって、あなたの魂をきよめなさい。わたしの霊にあなたの不純を焼き尽くさせ、この最終時刻においてあなたの神の前に来るために、あなたを完全かつ完璧にさせなさい。義の道を選びなさい。悪から離れなさい。
わたしの愛はあなたを今の命にあって支え、まもなく来るわたしの王国での次の命の栄光のためにあなたを備えることができます。来て、あなたの王家の礼服の仮縫いをしてもらいなさい。それは白くてきよいのです。
わたしはあなたのくちびるをきよめる熱した炭です*
わたしのきよめの火の中に入ってきなさい
ルカの福音書(第21章36節)しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」
ローマ人への手紙(第14章12節)こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
ローマ人への手紙(第12章2節)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
マタイの福音書(第7章13節)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
ルカの福音書(第14章27節)自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
マタイの福音書(第11章30節)わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
*イザヤ書(第6章5節~7節)そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
2012年11月18日(日曜日)
主の御言葉:「後に残された者たちは速やかに正気に戻るでしょう。」
誠実にキリストに従う方々へ:
近頃のアメリカ大統領選期間中、キリスト者たちはその二人の候補者の経歴について当惑していました。一人は、史上で最も非聖書的な大統領であり、もう一人は反キリストカルトの強固な信徒でした。多くのキリスト者たちは、二人の悪のうちのましな方に投票することが神によって定められていることであり、キリストに従う者としてそれが彼らの義務であると信じることによって自らを慰めさえしました。悪を選ぶことは決して神に奨励されることではありません。今、現実に、二人の悪のうちから選ばれた悪がいまだに政権の座についています。(そして選挙の結末のいかんに関わらず、こうなっていたのです。)
キリスト者たちは、このことすべてが起こっているときに神はどこにおられるのかと、頭を掻いて思い巡らします。アメリカの選挙が行われていたとき、神は休暇をとっておられたのでしょうか。聖書から以下の聖句を見てみましょう。
士師記(第3章12節)そうすると、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った。彼らが主の目の前に悪を行ったので、主はモアブの王エグロンを強くして、イスラエルに逆らわせた。
士師記(第6章1節)イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った。そこで、主は七年の間、彼らをミデヤン人の手に渡した。
エズラ記(第1章1節)ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。
出エジプト記(第10章1節)主はモーセに仰せられた。「パロのところに行け。わたしは彼とその家臣たちを強情にした。それは、わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中に、行うためであり、
ヨハネの福音書(第19章10節~11節)そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
ヨハネの福音書(第12章40節)「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」
ローマ人への手紙(第11章8節)こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」
ヨハネの黙示録(第17章17節)それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。
神は決して休暇を取られません。人がそう思わなくても、神は常に指揮を執っておられます。では、何が起こっているのでしょうか。
神はアメリカ国民(そして世界)に、彼らの邪悪な選択、異教的信条、神に反する欲望と引き換えに、彼らの欲しがっているもの、すなわち邪悪な指導者を与えているのです。キリスト者たちは、極めて邪悪な社会に神が道徳的指導者を与えて報いてくださると、いかように期待するのでしょうか。この世界は、キリストと神の意向に逆らう選択をすることで自らが日々植えているものの刈り取りをしているだけなのです。
今や神が、邪悪な指導者がホワイトハウス(そして世界中)に入ることを許されたからには、この圧倒的な悪が神の力なしでは反転させられないことははっきりとしています。世を支配下に入れた、すべてを飲み尽くすような悪に、神が報奨を与えられることはありません。聖なる神に対する罪のために人類を罰するため、神は悪に思い通りにさせ、この沈んでいく世界を支配させようとしています。
キリスト者の方々へ:あなたの希望は、あなたの不道徳な政府にも、頼みにならない経済にも、あなたのなまぬるい教会の指導者たちにも、あなたの人道的探求にも、あなたの個人的な意志や目標にもありません。あなたには安全への扉が一つあります。それは私たちの主であり救い主であるキリストです。あなたがどんなに必死に探しても、どんなに自らにそうでないと納得させようとしても、他に答えはありません。これが、神が皆に示そうとしておられることなのです。神を除いて、他に頼るところはないのです。今日、あなたのすべてを神に明け渡してください。神のみこころから外れて生きることに、もう一秒たりとも無駄にしないでください。あなたがあなたの人生をキリストに委ねるなら、あなたが救っているのは、ことによると単にあなた自身の人生だけにとどまらないかもしれません。
主の御言葉:
「後に残された者たちは、自分たちのあり方の誤りと、自分たちが向き合おうとしている暴政のことを知ってから、速やかに正気に戻るでしょう。」
私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月13日
2012年11月13日
わたしたちは始められます:
わたしの子どもたちよ、あなたがたの主の主が語っています。わたしはあなたがたの大いなる神、主権を有する主、万物の支配者です。
世界はもはや、その神を真に受けません。世界は悪によって支配されることを望んでいます。悪が侵入し優位に立ってしまっています。これはわたしの計画によることです。人々がその心の中でわたしに背く選択をしたために、わたしがそれを許しているのです。彼らは、その神よりも世への欲望を選んでしまいました。それで今、彼らは自分たちの思い通りのものと、世への欲望のために至高の神を退けたことの結果として生じるものとを受けることになるのです。
まもなく彼らは、偽りの神々や、異教の信条、そして肉を愛することを追い求めるために神を疎んじることが何を意味するのかを知ることになります。何の価値もない物事へのこの空々しく虚しい崇拝は、まもなくそれに参加する者たち皆に敵対するものとなります。
虚しくて価値のないものへの彼らの探求は、彼らを多大な損失と永久の成り行き、すなわち永遠の罰へと導くことになります。
わたしは、わたしを退ける者たちに手加減をしません。富への愛や木の偶像のためにわたしに背く選択をする者たちにとっての結末は、非常にひどいものとなります。これらの人々は後に残されて、最悪の事態に直面することになります。もうすぐこのことは展開されます。後に残された者たちは、自分たちのあり方の誤りと、自分たちが向き合おうとしている暴政のことを知ってから、速やかに正気に戻るでしょう。彼らは患難からの回避と救いとを逃してしまうのであり、彼らの失うものは非常に大きなものとなるのです。
わたしが彼らを迎えに来るときには、ほんの少数の者たちだけにしか用意ができていないでしょう。どうしてそうなのでしょうか。それは、ほんの少数の者たちだけしか、わたしに向かって押し進んでくることを願わないからです。世があまりにも欲望をかき立てるので、人々は世から手を離すことができないのです。自由になって、あなたの神であり唯一の望みであるわたしのすぐ後についてきなさい。
謙遜な従順と罪の悔い改めにより、また、あなたの神であるわたしとの親密さにつながる油の満ちたともしびを望むことでわたしに完全に服することによってのみ、あなたはあなたの魂の救いを見いだすのです。
世界はまもなく一変してしまうことになります。それは、かつて目撃されたことのないような惨事と破壊とに直面しようとしています。最終的にそのすべてを終わらせるのは、わたしの恵みと憐れみだけであり、わたしの力によってのみ、悪は止められるのです。人間には来たるものを止めることはできず、彼らにはそれを喰い止めることはできません。人が目にしてきた中で最も大変な患難の期間中、恐れと破壊と恐怖とが、地で絶大な権力を奮うことになります。
わたしがわたしの数少ないもの、わたしの花嫁、わたしの選んだ者たちを呼び出すときに、わたしとともに出て来なさい。少数の者たちだけが去ろうとしています。それはごくわずかな者たちです。これらの者たちは、進んで足を踏み入れる者がほんの少ししかいない秘密の場所でわたしを知っています。ほんのわずかな者たちだけが、本当に彼らの神を知るために時間をとりたがるのです。これがわたしが要求するものです。それは親密さです。わたしのことばはこの件に関して非常にはっきりとしています。今来て、個人的な場所でわたしを知るようになりなさい。この親密さの代わりになるものはひとつもありません。世は、神と共に過ごす永遠とは比べものになりません。
子どもたちよ、あなたには時間がなくなりつつあります。わたしの敵は、人々をその圧政の下に敷くという目標にだんだんと近づいています。わたしには、わたしの民の心をずっと待ち続けることはできません。殆どの者たちが度を越してしまって回復することができません。時が遅くなり過ぎないうちに、あなたは向きを変えてあなたの神に顔を向ける必要があります。
これらのことばは真実です。それらを真剣に考えなさい。
これはあなたの神です。
あなたの花婿は来ます。
マタイの福音書(第6章24節)だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富に も仕えるということはできません。
ルカの福音書(第17章26節~30節)人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。
ヨハネの黙示録(第7章9節~14節)その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、子羊にある。」御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を子羊の血で洗って、白くしたのです。
マタイの福音書(第25章1節~10節) そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
詩篇(第91章1節)いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
世に対するあなたの愛着を手放しなさい
主の御言葉:
「あなたの知識不足と、真理、すなわち、わたしの真理への抵抗とによって盲目にされてはなりません。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月14日)
始めましょう:
子どもたちよ、わたしです。あなたがたの主です:
わたしが世に与えようとしている教訓があります。わたしはわたしの力を示そうとしています。わたしはわたしの怒りを解き放とうとしています。わたしは、人々がこれまで知らなかった形で彼らの神を知ることができるようにしようとしています。わたしはこれらの人々には、わたしの熱心な信者たちの偉大なる救世主としてのわたしを見せ、それから、十把ひとからげにわたしを拒む邪悪で不道徳な者たちの大いなる審判者としてのわたしを見せるのです。
この地はわたしにとって忌まわしいものです。それはわたしの鼻先の悪臭であり汚臭です。この地の上にわたしが提供してきた守りがこっそりと離れつつあります。わたしは、地を握っているわたしの手を離し、その謀反と破壊を実行しようと待ち構えているわたしの敵に引き渡す用意をしています。あなたがたは、これほどの悪が一度に世界を襲うのを経験したことはありません。
わたしの子どもたちよ、あなたがたはわたしの守りの手に慣れてしまっています。あなたがたは、あなたの大いなる神がその握った手を離し、世を邪悪な指導者に引き渡したら何が起こり得るかを、まだ本当には目にしたことがありません。あなたがたは神の守りが適所にない世界を経験したことがありません。
わたしの敵対者と邪悪な人間たちが優位になり、わたしの花嫁の光があなたの面前から取り除かれると、この世界はすぐに様変わりすることになります。わたしの花嫁は、悪が全力を挙げて君臨するのを抑止するわたしの聖なる霊で輝いています。まもなくこの抑止力は取り除かれ、自分たちの救いを求めて私に立ち返らず後に残される者たちを破壊するために、反キリストが台頭してくることになります。彼は、わたしをその救い主、また神として公言する者が、誰一人として自由に走ったり、平安のうちに暮らすことを許しません。すべての者が、わたしに誠実であることの不利益を知ることになるでしょう。
この暴政は今、生じてきています。あなたの知識不足と、真理、すなわち、わたしの真理への抵抗とによって盲目にされてはなりません。正気に戻りなさい。わたしのことばを読みなさい。目を覚まして、あなたが生きている時刻を理解し、あなたの神との関係を回復しなさい。完全に、そして全面的にわたしに服従しなさい。わたしの神聖さに対して悔い改めなさい。あらゆる手を尽くしてあなたの周りの人たちを許しなさい。わたしのもとに来て、油の満ちたともしびを受け取りなさい。
わたしのことばを読んで研究し、隠れた場所でわたしを慕い求めることによって、あなたの神を親密に知るようになりなさい。あなたの神を知りなさい。世に対するあなたの愛着を手放しなさい。あなたの神のために時間をとりなさい。他に道はありません。わたしが、人が父のもとに来ることのできるただ一つの道なのです。わたしを信じてわたしを知ることによってのみなのです。その他の道や小道は、すべて地獄につながっています。
わたしが確かな足がかり、巌であり、わたしが嵐の中であなたを守るものです。今わたしのもとに来なさい。今、わたしを知るようになりなさい。わたしはわたしの食卓に、わたしの結婚披露宴に、あなたの席をとってあります。あなただけにわたしを選ぶ権限があるのです。選びなさい。わたしはあなたのために道を作っておきました。扉はいつまでも開いているわけではありません。
わたしはあなたの主であり、救い主であり、堅固なやぐらです。
ヨシュア記(第23章15節)あなたがたの神、主があなたがたについて約束したすべての良いことが、あなたがたに実現したように、主はまた、すべての悪いことをあなたがたにもたらし、ついには、あなたがたの神、主が、あなたがたに与えたこの良い地から、あなたがたを根絶やしにする。
ゼカリヤ書(第14章6節~7節)その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。
テサロニケ人への手紙 第二(第2章7節)不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
ホセア書(第4章6節)わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
マタイの福音書(第25章10節)そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
2012年11月20日(日曜日)
主の御言葉:「あなたがいい加減にわたしを追い求めるなら、あなたがわたしの婚姻の食卓につくことは決してありません。」
まもなく、すぐに
イエス・キリストは、彼の血で買い取られた、降伏した花嫁を彼女の天の家に連れて行くために来られます。あなたには用意ができていると本当に思いますか。
しるしを無視してはなりません。
世界中に広がる露骨な悪、恥を知らない邪悪さ、あらゆる社会層に蔓延する混沌、
そして何よりも、真実なる聖書の神に対する嫌悪、神のご性質と戒めの破棄が、過去数年の間に急速に増加してきました。
天候が極端になり、これまでになかったような数えきれないほどの地震が起こり、イスラエルは、この惑星に生きるユダヤ人とキリスト者をことごとく全滅させようとする者たちによって囲まれています。
神のみことばは、もはやアメリカ合衆国の土台ではありません。私たちの憲法の父として知られる第4代目大統領ジェームズ・マディソンはこう宣言しました。「私たちは、私たちが心を尽くして十戒に従う能力に私たちの未来を賭けています。」もはやそうではありません! 公立の学校で十戒を表示することは違法なのです。
ルカの福音書(第21章28節)これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」
イエスはこの地球のいたるところで、まぼろしや夢に現れておられます。
ユダヤ人の方々へ:私は個人的にそれを証明することができます。私が職場で知っているユダヤ人女性が、何か真剣な様子で私のところに来ました。彼女は、夢の中でイェシュアが彼女のところに来て、彼女の肩に手を置き、「わたしはあなたの友です」と言われたと私に教えてくれました。彼女は厳格な環境で育ちました。私たちはランチに出かけ、私は彼女にユダヤ教聖書を手渡し、イザヤ書第53章を読んでもらいました。読み終えると、目に涙をためて私を見つめた彼女は、イザヤがまさに誰のことを語っていたのかを理解していました。イェシュアのことだったのです!
http://www.scribd.com/doc/42277052/Rabbi-Reveals-Name-of-the-Messiah 国の最も著名なラビの一人であったイツハク・カドゥリ(Yitzhak Kaduri)師が、その亡くなる数ヶ月前に小さなメモ用紙にメシヤの名前を記し、今に至るまで封印しておくよう要請したとされています。そのメモの封印が解かれたとき、そこには、多くの人が何世紀にも渡って知っていたことが明らかにされていました。それは、イェホーシュア(YEHOSHUA)、すなわちイェシュア(イエス)がメシアであるということでした。彼の息子のラビ、デービッド・カドゥリ(David Kaduri)師は、彼の父が晩年、ほぼもっぱらメシヤとその来臨についての夢ばかりを見て、そのことばかりを語っていたと確認しました。彼は言いました。「私の父はまぼろしでメシアに出会いました。そしてメシアがもうすぐ来られると私たちに告げました。」そして、ラビ自らの手で走り書きされたものが、そこにあったのです。それらの記号が何を意味しているのかと私たちが尋ねると、ラビ・デービッド・カドゥリ師は「天使のしるし」であると答えました。「天使のしるし」の意味についてさらに強いられると、彼は全く分からないと言いました。ラビ・デービッド・カドゥリ師は続けて、彼の父だけが神と霊的な関係をち、夢の中でメシアに出会ったのだと説明しました。
私たちの花婿イエスは、その花嫁に悔い改めるよう警告しておられます
キリスト者の方々へ:ヨエル書(第2章28節)その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
イエスは若い人たちにも老いた人たちにも同様に現れ、イエスがもうすぐ来ようとしておられ、その花嫁はイエスと正しい関係にある必要があることを花嫁に警告するように、彼らに告げておられます。
最新の夢・幻: 幻の中で主を見るスイスの親友が、2週間ほど前にこの便りをくれました。彼女は次のようにつづっています: 金曜日の夜、私は祈祷会に出ていました。イギリスからの牧師が説教をしてくれましたが、賛美の時間中に、私はまぼろしでヤフシュアを見ました。主は私にこうおっしゃいました。 「娘よ、わたしは来ようとしています。」そしてその後、その牧師が私に目を向けて、主は人々に語りかけ彼らに物事を告げられると言ったのです。8月以来、彼女は雲間を降りて来られるキリストのまぼろしを二度見て、ラッパが大きな音で鳴るのを二度聞いています。
それから、彼女は約一週間前にまた、私に次の便りをくれました:スーザン、こんにちは。ヤフシュアの御名においてご挨拶します。
あなたにお話ししたとおり、昨日の午後6時20分ごろ、私は持ち上げられるのを感じました。自分の足取りが感じられなくて、私はとても軽い感じがしました。私は、これは携挙かと思いました。すごく現実味があって、この昇っていく感覚には驚くばかりでした。私の周りにはたくさんの青い光が見え、私の周囲に天使たちがいることが私には分かりました。 そこで私はアバ父に尋ねました。「これは携挙ですか?」私は悔い改めました。そして、私は後に残されたくはありませんとアバ父に申しました。先週も持ち上げられる体験をしましたが、昨日のは私の周りに青い光があって、より強烈なものでした。
また、仲の良い友人のご主人も2、3週間前に三部からなるまぼろしを受けました。彼はまず、輝く白い十字架を見ました。その次に、彼は人々が空中に昇っていくのを見ました。彼が見たのは、何千という数ではなく、何百という数だったそうです。そして最後に彼は、彼自身が非常に明るい星々の間を漂っているのを見ました。それはとても平穏な感覚だったということです。
最後に、また別の友人が、ごく最近になって彼女の家中で白い羽毛が現れているのに気づいたと報告していることを付け加えたいと思います。
主の御言葉:
「あなたがいい加減にわたしを追い求めるなら、あなたがわたしの婚姻の食卓につくことは決してありません。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月20日)
わたしにはあなたに新しいことばを授ける用意があります。このことばはわたしの民に向けたものです。
神の子どもたちよ:
あなたはわたしの目の前にいます。わたしはわたしの教会を見ています。それは、愛と真をもってわたしを崇める者たち、わたしのことばを通してわたしを慕い求め、真理を通してわたしを追い求める者たちです。その神を本当に愛するわたしの子どもたちは、わたしが実在することを信じて、信仰を通して絶え間なくわたしを慕い求めます。彼らは明けても暮れてもわたしのすべてを望みます。彼らは一日を通してわたしのために時間をとります。
これらの子どもたちは、時間をとってその心の中でわたしを追い求めてきたので、その神を知っています。彼らは世のためにわたしを退けません。彼らはわたしのことを時間をかけるに値するものと認めます。わたしは彼らの日々を満たします。彼らがわたしと一緒にいることを楽しむからです。彼らは、わたしとわたしの真理から彼らを引き離す世の道や世の物事を退けます。彼らの時間はわたしの時間です。彼らは自分たち自身をわたしに捧げました。彼らはもはや、彼ら自身のものでも、わたしの敵のものでもありません。
彼らの心は、わたしと、わたしの意志と、わたしの道、そしてわたしが追い求めるものごとに捧げられています。わたしの追い求めるものが、彼らの追い求めるものです。彼らはわたしの手であり、わたしの足でもあります。彼らが無欲に与えることで、多くの者たちが補われています。これがわたしの道、わたしの教会が大切にする道です。わたしの花嫁、わたしの光です。
まもなく、わたしはこれらのものを地から取り除きます。暗やみの中で、暗くて邪悪な地にあって、光で道を照らす者たちを。わたしは地に残っている最後の光を取り除きます。それはわたしの花嫁を 通して輝くわたしの霊であり、わたしの聖なる霊の光を持つわたしの教会です。すべてが取り除かれ、悪を抑制するものが取り出されることになります。すると、悪が全力を挙げて支配することになります。
わたしは、わたしの花嫁を迎えに来るときに、あなたを安全へと連れて行きます。あなたは完全に服従し、謙遜な心から悔い改め、悔い改める心からあなたの周りの者たちを許してわたしのところに来なければなりません。あなたは油の満ちたともしびと、わたしの聖なる霊の満たしを求めなければなりません。あなたはわたしのことばを読まなければなりません。わたしたちが会ってお互いを知り合える隠れた場所でわたしのもとに来ることによって、わたしと親しくなりなさい。
わたしはとらえどころのないものでも、見つけにくいものでもありません。わたしはいつも近くにいます。あなたがどこにいようとも、わたしにはいつでもあなたに会う用意があります。ただし、あなたがへりくだってあなたのすべてを明け渡し、わたしを最大限に受けることを願わなければなりません。わたしは、あなたがこの世のものを神と同じくらいに切望するような中途半端な関係は受け入れません。これはありえないことです。あなたには、わたしのすべてを欲するか、全く欲しないかのどちらかしかありません。
わたしは、富と、肉やこの世のものへの欲を追い求めておきながら、まだ、神であるわたしが彼らの人生の片隅に追いやられていてもよいと信じる者たちに、手加減をしません。これは邪悪なことで、私たちが顔と顔を合わせて会うとき、わたしはあなたを吐き出します。
わたしの王国に加わり、邪悪な人間たちのために用意されている来たる患難から救われるために、わたしがあなたに要求することを受け入れなさい。その時刻が差し迫ってきています。あなたが来たるわたしの花嫁の救済にふさわしいものと見なされたいならば、わたしの血であなたの衣を洗わなければなりません。
あなたがいい加減にわたしを追い求めるなら、あなたがわたしの婚姻の食卓につくことは決してありません。このことを慎重に熟考しなさい。あなたの永遠の救いが、それに掛かっているのです。わたしは、情熱的な心でわたしを愛し、わたしの聖なる霊の満たしからの真理によってわたしを追い求める者たちを、置き去りにはしません。これが私が要求することです。あなたには永遠にわたしと過ごすための代価を支払う意志がありますか。
命を投げ出し、世を手放す決心をした者たちはごくわずかで、わたしと共に来ようとしている者たちはごくわずかしかいません。わたしの聖句がそれを語っています。自分で確かめなさい。
わたしの再臨のための時刻が近づいています。わたしは、その衣の用意が整っている者たちを探し求めています。
これは花婿です
王のかぶり物
マルコの福音書(第12章30節)心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
民数記(第15章39節)そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行うため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、
ルカの福音書(第16章13節)しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
テサロニケ人への手紙 第二(第2章6節~8節)あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
ヨハネの黙示録(第3章16節)このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
ペテロの手紙 第一(第4章18節)義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
ペテロの手紙 第二(第2章20節~21節)主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。
残された時間はほんの少ししかありません。
主の御言葉:
「わたしの救いは決して弱まりません。だれにもそれに取って代わることはできないし、それから取り除くことも、それに付け加えることもできません。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月21日)
娘よ、これがことばです:
子どもたちよ、あなたがたはあなたがたの神であるわたしの言うことに耳を傾ける必要があります。わたしの敵が地を飲み尽くそうとしており、残された時間は殆どありません。彼は土の器を、わたしの民を奪おうとしています。彼は、その心に彼を受け入れる者たちを支配しています。彼は彼らの生命を奪い、彼の偽りと欺きで彼らの魂を盗み去ろうとしています。彼は、人々が全人類の創造主であるその真の神に耳を傾けることを拒否するようにと、彼らの心をとりこにしてしまっています。
人の魂は、わたしがその人の上にわたしの手を置いて彼がその創造主のもとに引き戻されるまで、敵によって買収されています。あなたがわたしの霊に引きつけられたり引き寄せられたりするのを感じたら、それはわたしの霊が、あなたをあなたの主であるわたしのもとに呼び戻しているのです。
わたしは、あなたのためにわたしの命を捨てました。わたしはすべてを捧げました。わたしのささげものは完璧でした。何もやり残されたことはありません。人々の必要を満たし、仕えるために、わたしが誠実であることを示すために、わたしに従う者たち、つまりわたしにのメッセージ、わたしの救いを受け取る者たち、わたしが彼らの神であると信じる者たちすべてにわたしのすべてを与えるために、わたしは神の謙遜な僕となりました。わたしのもとに来て永遠にわたしの救いを受けるすべての人たちに手を伸ばすこと、これがわたしの願いでした。
この救いは時間とともに減退するものではありません。それには、すべての人のためにわたしが十字架の上で死んだ日と全く同じ効力が今もあるのです。わたしの救いは決して弱まりません。だれにもそれに取って代わることはできないし、それから取り除くことも、それに付け加えることもできません。わたしの流した血は、今後もずっと今と変わらず力あるものなのです。この贈り物を受け取りなさい。それは惜しみなくあなたに差し出されています。それは今、手に入れることができます。ほどなくわたしの教会が取り除かれた後では、代償が支払われなければならなくなります。わたしの敵は、彼のしるしを拒否する者たちには、彼の支配下に入ることを拒むことと引き換えに死を味わうことを要求するので、後に残された者たちがその救いを受けるためにはその命を差し出すことが要求されることになります。
今わたしを選んでこの悪と患難を避けなさい。わたしの救いは無償であり、今手にすることができるのです。わたしの救いの恵みと憐れみを受けなさい。あなたの罪の人生を、また、わたしの意向に逆らってわたしの敵に従うことを、あなたの魂の救いと交換しなさい。わたしの霊をあますところなく受けなさい。わたしの霊の賜物を、彼が惜しみなく与えるだけ受け取りなさい。わたしの霊の実をまとい、清い心と新たな思いとを受け取りなさい。今が、わたしの霊の内在を通して力を受ける時です。これはわたしが与えるもので、求めれば与えられます。
あなたにしか選ぶことはできません。だれにもあなたのためにこれを選ぶことはできません。わたしにさえ、この贈り物をあなたに押し付けることはできません。あなたが決めなければなりません。あなたはわたしとともに来るのですか。それともわたしはあなたを後に残して行かなければなりませんか。わたしは、わたしの美しい天であなたと永遠を過ごしたいのです。ぜひともわたしを選びなさい。
わたしがあなたの生涯の愛です
すべて命あるものの設計者、つくり主、創造主
謙遜な神
コリント人への手紙 第二(第4章6節~7節)「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
ヨハネの福音書(第6章44節)わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
マルコの福音書(第14章65節)そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当ててみろ」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。
ヘブル人への手紙(第2章9節)ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死 は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
2012年12月2日(日曜日)
主の御言葉:「完全な服従によって神聖さとわたしの道とを選びなさい。」
ミニストリーに携わる方々へ: あなたがたは、沈黙を守り、世界はなにもかもが正常で、警戒する理由や主の再臨に備えるために主に目を向ける理由は全くないと無知な人々に信じ続けさせたことの責任を、神に対して負わなければならなくなります。
ヤコブの手紙(第3章1節)私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
主の御言葉:
「わたしは口にしたことばを守る神です。わたしのことばは実現しつつあります。」
(下記の書簡は、礼拝のために主からのメッセージをいただきたいという、あるアフリカの教会の要請に応じて主がスーザンに賜ったものです。2012年11月21日)
始めましょう:
わたしがここに来たのは、わたしの教会に語るためです。
大規模な混乱が起ころうとしています。それは地球全体にふりかかろうとしています。わたしは大患難のことを語っているのです。この世界はその進んでいた方向から終息へと近づきつつあります。四方八方で世界が崩れかけ、崩壊しつつあるのが見受けられます。真理はもはや求められていません。それを望む者たちはごくまれです。
わたしは眠っている者たちに、堂々とわたしの姿を現そうとしています。彼らはその眠りからハッと起こされるでしょう。まもなく、あなたはわたしの怒りの激しさを知るでしょう。わたしは目的を果たすために、人々や、天候や、状況を用います。ですから、わたし がわたしの油断のない花嫁を迎えに来るときに、眠っているところを見つかってはなりません。後に残されたなら、だれひとりとしてわたしの怒りを逃れることはありません。だれひとりとして、来ようとしているものに耐えることはできないでしょう。わたしの祝福が取り除かれ、わたしの守りの手が取り除かれ、わたしの敵の恨みが全開で注ぎ出される、このことが起ころうとしています。
わたしがわたしの真の教会を迎えに来るときに脱出する準備をしなさい。来ようとしている者たちはごくわずかしかいません。それは、わたしへの無償の愛と献身とで知られる精鋭集団です。彼らは、その神に完全に服しており、完全に従順で、喜んで仕える用意があり、わたしの有能な手足として、迷い出した者たちを追いかけ、追い求めることに意欲的です。
今があなたの救いの時、他の人たちを獲得する時です。明日では手遅れになってしまうかもしれません。神と救いを追求すること、そして携挙されるための準備を追求することを先延ばしにしてはなりません。これらはすべて切り離して考えることはできません。あなたの気をそらせるこの世のものごとに惑わされてはいけません。あなたの神に顔を向けなさい。わたしの聖なる顔に服しなさい。率直に、また頻繁に悔い改めなさい。
救い出される者たちはごくわずかしかいません。この警告を心に留めなさい。わたしはいつまでもわたしの花嫁を待っているわけにはいきません。彼女は美しく、わたしにはわたしの結婚を祝う用意ができてます。「あなたの神のもとに来ること」が可能なうちに来なさい。わたしの申し出を逃してはなりません。多くの者たちは来そこなうでしょう。これは真理のことばです。わたしはあなたを脅すつもりはありません。ただ、あなたの目を覚まそうとしているだけです。
わたしの真理は時の流れに耐えます。わたしは口にしたことばを守る神です。わたしのことばは実現しつつあります。すでに書かれていることや、今ですらわたしがそうなると言ったとおりに起こっていることを、軽視してはなりません。
来て、わたしの救助の手を受け取りなさい。わたしの救いを受け得たのに、世の道を選ぶためにそれを無視することを選んだ者たちにとっての悔恨は、大きなものとなるでしょう。世を愛し、彼らの神を拒む者たちは惨めです。
わたしは来ようとしています。あなたには用意ができていますか。
わたしはあなたの主です
王の王、主の主
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ペテロの手紙 第一(第4章18節)義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
コリント人への手紙 第一(第9章26節~27節)ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身 が失格者になるようなことのないためです。
ペテロの手紙 第二(第2章20節~22節)主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。
マタイの福音書(第7章13節)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
詩篇(第2章12節)御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。
マタイの福音書(第18章8節)もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
ピリピ人への手紙(第2章12節)そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
完全な服従によって神聖さとわたしの道を選びなさい。
主の御言葉:
「完全な服従によって神聖さとわたしの道を選びなさい。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年11月25日)
始めましょう:
世界はばらばらに砕けようとしています。それは少しずつ崩れています。世界は悪の心、神を拒む心によって維持されることはできません。神であるわたしだけに、この世界を建て直すことができます。わたしの愛と限りない力だけが、この世界をかつての非の打ちどころのない世界に戻すことができるのです。
悪が邪悪で堕落した人々をその思い通りにすることができるように、わたしの手が取り除かれつつあります。それは神が実在することを信じず、この世で生きるためのわたしの聖なる基準に反発したがる者たちです。神に対して答弁することがなければ、人間はわたしの導きの手から離れて自分たちのしたいことをすることができると考えます。多くの者たちは、それが、不従順と反抗に対する罰である永遠の地獄と死と破滅の穴の中にまで彼らが従っていっている、その邪悪な指導者によって助長された大いなる妄想に過ぎないことを、もうじき理解することになります。
わたしはあなたの神の神聖さについて語りたいと思います。わたしは聖であり、きよいのです。わたしの聖さは命、永遠の命です。それは神との永遠の基盤です。あなたの霊のうちに住み、あなたの霊をわたしのかたちに一致させ、ひいてはあなたをわたしの永遠の臨在のうちに入ってくるのにふさわしくするわたしの聖なる霊を最大 限に賦与されることがなければ、あなたの霊はわたしのきよい臨在の中に入ってくることはできません。
わたしの霊を十分に受けるためには、あなたはわたしの霊に場所を空けるために、あなたのすべてを明け渡さなければなりません。わたしの限りない力と意向のための場所を空けるためには、「自己」が取り除かれなければなりません。あなたの人生にわたしの意向がなければ、あなたはわたしのものではなく、わたしの敵の意向のうちに作用しているのであり、それはあなたを堕落へと、あなたの聖なる神に対する反抗へと導き入れていきます。あなたの霊と魂があなたの創造主である聖なる神に逆らって邪悪な働きをするように、あなたの肉を腐らせているのです。
あなたの霊は、わたしの完璧なかたちに作り替えられることによって、完璧にされうるのです。その時初めて、あなたはあなたの魂の救いを受け、聖なる神とともに住まうにふさわしくなるのです。
悔い改め;あなたの命および謙遜な心の明け渡し。これが、わたしがあなたの霊の内にわたしの霊を解き放ち、完全に充満させるために要求することです。それは、あなたの神と安全に歩むための自由へと、あなたの道を灯す油の満ちたともしびなのです。
わたしはわたしの花嫁を取り除くために来ようとしています。それは、その霊がわたしの完璧なかたちにある者たちです。それ以外はすべて、部分的で不完全な服従、なまぬるい捧げものであり、わたしはそれを拒み、世への愛と引き換えに自分たちのすべてを捧げることを選ぶ者たちを選びます。あなたの魂の救いと引き換えに世に心を注ぐこと、これが、人々が彼らの神の代わりに悪に取り入るために行っている邪悪な取引なのです。わたしは、わたしの子どもたちを救い出すためにすべてを与えました。それなのに、彼らは永遠の美と命に換えて不正と踊るという、劣ったもので満足しています。
完全な服従を通して、聖さとわたしの道を選びなさい。時間が少なくなってきています。世は暗やみへと、つまりその神から離れた世界へと急降下しています。離れて来なさい。悪しきものすべてから離れなさい。本当の救いを求めるごくわずかな者たちに加わりなさい。安全へと出てくる者たちは少ないのです。わたしは、あなたをわたしの永遠に続く平安の世界に連れて来ましょう。ただし、あなたがそれを望まなければなりません。それを選びなさい。選ぶのはあなたです。
聖さを選びなさい。
わたしは聖である あなたも聖であれ。
詩篇(第29章2節)御名の栄光を主に帰せよ。聖なる飾り物を付けて主にひれ伏せ。
レビ記(第11章45節)わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」
エペソ人への手紙(第4章24節)真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
ヘブル人への手紙(第12章14節)すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。
コロサイ人への手紙(第3章10節)新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
詩篇(第4章3節)知れ。主は、ご自分の聖徒を格別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。
ペテロの手紙 第一(第1章16節)それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。
獣のしるし:概要
ヨハネの黙示録(第20章4節)また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
現在、あらゆるものがバーコード化されています。獣のしるしは、現在チップとマークの両形態をとり、あらゆる所で包括的かつ普遍的なバーコードと連携した追跡装置となっている、RFIDチップのことです。それは、人間の場合どこにチップを入れるのが一番良いかということに関して産業界の行った高額な研究に基づき、手と額に挿入されます。
Revelation 13:16: And he causeth (cause is defined as to be the cause of; bring about; precipitate; be the reason for) (causeは、~ の原因となる、~引き起こす、~を突然引き起こす、~の原因となると定義される)all, both small and great, rich and poor, free and bond, to receive a mark in their right hand, or in their foreheads: ヨハネの黙示録(第13章16節)**また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手がその額かに、刻印を受けさせた。
聖書に描写されている通りの人間マイクロチップ埋め込みを内容に含む最初の正式文書は、通過したばかりのアメリカ合衆国保健医療法案にあります。
**(訳注)本書原文に使用されている欽定訳聖書におけるRevelation 3:16(ヨハネの黙示録 第3章16節)の”he causeth all(彼はすべてを引き起こす)”にあたる句は、日本語では新改訳聖書にも、新共同訳聖書にも、口語訳聖書にもありません。
なぜ人間にマイクロチップを埋め込むのか。
ヤコブの手紙(第4章4節)貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
マイクロチップを埋め込むことで、それを受ける人たち全員についての情報と、その情報を利用する権利とが、それを管理する非道な反キリスト指導者たちの手に渡ることになります。人々には選択肢 が二つあります。サタンと世の道をとるのか、あるいは神の道をとるのか。神は全能であり、全知であり、偏在します。サタンはいつも神の真似をしたがるのであり、この制度は神と同じ全知の支配力を持とうとする試みなのです。神の王国に対してこの人為の制度に賛成する者たちに気をつけてください。あなたには、以下の聖句に見られるように、あなたの額に獣のしるしを受けるか神の刻印を受けるかを選ぶことができるのです。
ヨハネの黙示録(第14章9節~10節)また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと子羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。
ヨハネの黙示録(第22章4節)神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
ヨハネの黙示録(第14章1節)また私は見た。見よ。子羊がシオンの山の上に立っていた。また子羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には子羊の名と、子羊の父の名とがしるしてあった。
マイクロチップ技術受け入れの世界的拡大
今日、マイクロチップ技術の受け入れという点において、社会はどこに立っているでしょうか。この世界は体にチップを挿入されるという現実を、あとほんの一歩で受け入れようとしています。業界の 専門家たちは、すでに何千人、もしかすると二百万人もの人々が自主的にマイクロチップの挿入を受けていると信じています。以下は、世界がマイクロチップの埋め込みに向かって動いている経過に関する洞察です。
この技術の主要な推進役である銀行やクレジットカード会社は、彼らが自慢げに「キャッシュレス社会」として推進するものへと私たちを動かしています。マスターカードはキャッシュレス決済の将来に関する情報をこちらのリンクで提示しています。
http://newsroom.mastercard.com/future-of-payments-stream/
目下、言えるかもしれないことは、マイクロチップ挿入がすべての人に強制されるまであと一歩に迫っているということです。体内マイクロチップに最も近いものは、下記のリンクにおいて見られる、内蔵されたマイクロチップとアンテナによる非接触キャッシュレス決済制度である、Tap & Go™ (タップ・アンド・ゴー)とも呼ばれるマスターカードのPayPass™(ペイパス)というプログラムによる、体外マイクロチップへの取り扱いと適応です。
http://www.mastercard.us/paypass.html#/home/,
http://newsroom.mastercard.com/2011/04/16/bringing-tap-and-go-to-the-masses-and-my-brother/
こちらのリンクでは、最近のイベントでマイクロチップがいかにリストバンドに活用されたかが示されており、また、これが人間のマイクロチップ埋め込みに、最も近いものであることも示されています。Isle of Wight Festival Goers to Receive First-Ever Auto Top-up MasterCard® PayPass™ Whistband:
http://newsroom.mastercard.com/?s=rfid
先を見通すために後ろを振り返って
未来を知るためには、時には、過去を見る必要があります。人物追跡と刻印づけは、ナチスのドイツ支配中に、巨大コンピューター会社IBMの支援によってすでに実行されていました。ユダヤ人を初めとする人々は、ナチスの強制収容所において、刺青とIBMの特注パンチカード制度によって監視されていました。今日、IBMは、彼らのもとにはこのプログラムに関する歴史的記録はないと言っています。しかし、そのプログラムを研究した歴史家たちは、利益のためにヒトラーと連携していたのはIBMであったと言います。こちらがそのプログラムの詳細です。: Globalist Controlled IBM Assisted Hitler in Organizing Concentration Camps--The Tattoo Used in Auschwitz Was Originally An IBM Code Number(世界主義者に支配されたIBMは強制収容所の組織化においてヒトラーに助力していた--アウシュヴィッツで使用された刺青は本来IBMのコード番号だった)
そしてこちらの記事ではIBMのナチス関連が探られています。エドウィン・ブラック(Edwin Black)氏の著書「IBMとホロコースト ― ナチスと手を結んだ大企業」"IBM and the Holocaust: The Strategic Alliance Between Nazi Germany and America's Most Powerful Corporation"は、その2月の出版以来、ホロコースト、アメリカ企業、情報技術の研究者たちの間で前代未聞の論議を呼んでいます。: http://news.cnet.com/2009-1082-269157.html 聖書によるところのそう遠くはない未来に起ころうとしていることは、ナチスドイツのものと同じシナリオですが、ただ世界的ハイテクを使用した強力なものなのです。
現在、下記の政府機関が、それらの新しい技術を近く人々に使用しようとしています。 軍隊:
http://www.mobiledia.com/news/134354.htm
食品配給券プログラム:
http://www.pakalertpress.com/2012/11/26/use-of-rfid-tracking-technology-to-be-mandatory-in-us-food-stamp-program-2/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+pakalert+%28Pak+Alert+Press%29&utm_content=Google+Feedfetcher
(あたかもあなたが人間の予定を基盤にして主の再臨を見張ることができるかのように)これら計画中の人間チッププログラムの日取りを、携挙の起こるタイミングへの鍵として見ないでください。携挙の起こるタイミングは神にのみ知られているのであり、聖書によると、実際は、マイクロチップ使用の引き金となるものなのです。携挙は確かに門口にあり、ミニストリーに携わる人々やキリスト者たちは気を緩めずに他の人たちに伝える必要があり、彼らの救い主に敵対するものである世にしがみつくのをやめる必要があります。
2012年12月10日(月曜日)
主の御言葉:「わたしがわたしの大切な油の満ちたともしびを取り除いた後、光は消されます。」
誠実にキリストに従う方々へ:
下記にあるのは書きづらい内容のものですが、私が主に伺うと、主は「書きなさい。あなたが人々に真理を告げなければ、彼らは死ぬことになります」とおっしゃいました。私にはそれで十分でした。
2~3年前の夏、私は来訪者として主流宗派の教会の野外集会に行きました。私は食事をする広場に座っていましたが、およそ100人前後の人々が集まって食べたり飲んだり話をしたりしていました。そこにWiFiが繋がっていたので私はその時コンピュータを使っていました。すると主が私に語られ、私は主がおっしゃったことに愕然とし、ショックを受けました。「彼らは皆迷い出している。彼らは互いに話をするが、わたしには話しかけてこない。」
「わたしが来ているのは、携挙のとき、会衆全体が後に残されることになることをあなたに告げるためです。」
なぜでしょうか。
ヨハネの黙示録(第3章16節)このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
その理由は、人々が彼らの主流教会で真理を与えられていないからです。神の大いなる恵みと憐れみのために、人々は主の戒めを無視することに決めてしまい、それらの戒めは今の時代には廃止されていると信じています。しかし、神は救いの恵みと十字架上でのキリストの驚くばかりの犠牲の恵みのために戒めを放棄されることはしませんでした。どうして分かるのかと?新約聖書にそう述べられているからです。
マタイの福音書(第5章19節)だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
ヨハネの福音書(第14章15節)もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
ヨハネの手紙 第一(第3章22節)また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。
ヨハネの手紙 第一(第5章2節~3節)私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
ヨハネの黙示録(第14章12節)神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」
ヨハネの黙示録(第12章17節)すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。
戒めは多くの人たちが信じているように廃れてはおらず、効力があり、生きるための私たちの指針であるにもかかわらず、牧師たちまでもが、主の聖なる日に会衆が礼拝が終わるやいなや教会を飛び出して買い物をし、フットボールの試合を観ることができるように礼拝を短くするよう命じ、これみよがしに戒めを破ります。人々は、無数の方法で神を冒涜する世俗的メディアを見ながら丸々一週間過ごすことや、神に反するあらゆる形の世俗的探求に参加することを 後悔し、悔い改めるようには命じられません。 今日の主流教会は、その崇めるべき神を独自に作り出しています。それは自分たち自身で作り上げた神であり、偶像であり、聖であることと、聖なる神の前に犯された罪に対して頻繁に反省し悔い改めることとを要求しない神です。
主要宗派の教会は、神が聖書の中で主がその花嫁のために来臨されることの前兆として与えておられる多数のしるしを指摘しながら、 終末のことや、明らかに世が神から離れて圧倒的な悪に向かい、神に背を向けている状態について語ろうとはしません。このメッセージは主流教会では禁物なのです。それは革新的すぎて、世を愛する主流教会出席者たちには、厳しすぎるのです。
主流派の教会は、十戒は守られ得ず、神聖さは達成され得ないと信じてさえいるため、聖くあることは奨励されすらしません。彼らは部分的には正しいのです。それらは肉にあっては守られることができないからです。しかし、ここに鍵があります。聖霊のバプテスマを受けるために祈り、それを受けることによって与えられる聖霊のおそるべき力によって、それは可能になるのです。神は決して人々に不可能なことを要求されようとはなさいません。ルカの福音書(第1章37節)神にとって不可能なことは一つもありません。
マタイの福音書(第3章11節)私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
主流教会は、聖霊の火と、それが本当に聖霊からのものであれば、続いて起こる決まって超自然的な顕現とを恐れています。それらは、(聖霊ご自身が授けるものを選ばれるので、いつもそうとは限りませんが)異言であったり、預言(神の声を聞くこと)であったり、まぼろしであったり、癒しの賜物であったり、霊的識別力であったり、その他のものであったりします。非常に多くの人たちが、これらの聖霊の顕現に居心地の悪さを感じ、自分たちの教会から聖霊を追い出したがります。このことの問題点は、キリストが聖霊とひとつであり、神のみこころを行い、みこころのうちにとどまるためには聖霊の力が不可欠であり、それは救いのために必要であり、人間が無効であると信じたとしても無効にされてはおらず、まだ効力のある神の戒めを行うことに必要なものであるということです。(聖霊のバプテスマについては使徒の働き 第19章をお読みください。)
それに、なぜ主流教会や非常に多くの今日の近代教会は、聖霊のバプテスマによって完全なかたちで聖霊を受けることなく済ませたがるのでしょうか。それは、悪霊である宗教の霊が今日の教会において蔓延し、栄えているからです。(問題は、人々が拒んでいる聖霊の力なしでは、彼らがこのことを理解することはできないことです。)それは、教会外での日常生活でよりも、教会での経験で人々をもっと不快な気分にさせるのと同じ宗教の霊です。それは、聖霊の力の動きを拒み、教会が神のみこころに従って動くことを妨げる教会内の敵なのです。こちらに、宗教の霊に関する詳細があります。http://www.takehisheart.com/satanpythonreligious.htm
あなたがわたしに逆らって選ぶなら…
主の御言葉:
「悪が、人の子どもたちを破壊するために、人類に対する勢力を結集しています。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月3日)
わたしにはあなたにことばを授ける用意があります:
わたしの再臨のための時刻が近づいています。まもなく人々は、自分達が残酷で無情な敵によって虜にされていることを知ることになります。この敵は非常に残酷で、かつ無情であり、わたしの子どもたちを破壊し、殺し、わたしから引き離したがります。わたしの子どもたちが彼らの救い主であるわたしを拒み続けるなら、わたしは彼らを敵の手から遠ざけておくことはできません。
わたしだけにあなたを救うことができます。ただし、あなたがわたしに頼らなければなりません。あなたがわたしを拒むなら、わたしにはあなたを助けることはできません。あなたがわたしの存在を否定するなら、あなたはわたしをあなたの人生において役に立たないものとするのです。わたしがあなたをわたしの敵の手と策略から助け出すことが可能になる前に、まずあなたがわたしに完全に服することによって、わたしがあなたの人生を支配していなければなりません。敵は人間を無慈悲に取り扱います。彼は人を惑わせる方法を知っています。
あなたの主であるわたしから離れては、あなたは彼に太刀打ちできません。彼に対して全権を持っているのは、わたし一人しかいません。 彼を支配し、あなたの人生において彼を役に立たないものとすることができるのは、ただわたし一人です。あなたがこのことを受け入れるまでは、あなたは彼によってさまざまな方法で苦しめられることになります。彼は、この堕落した世界でわたしの子どもたちすべてに痛みと苦しみをもたらします。あなたの命をわたしに完全に明け渡すことによって受けるわたしの血の覆いによってのみ、あなたは彼があなたに対して放つ邪悪な攻撃から守られることができるのです。
あなたはわたしに顔を向けなければなりません。あなたの人生を振り回すわたしの敵の支配と指導の下でなされた、あなたの神とつくり主に対するあなたの生涯に渡る罪の悔い改めをしなさい。あなたがあなたのすべてをわたしの手と保護のもとに委ねるまでは、あなたはあなたの主であり師であるわたしから離れており、安全ではないのです。あなたはわたしの敵のかっこうの的であり、あなたは最終的にはあなたの人生における彼の企みと支配の餌食となるのです。あなたの宿命は永遠の地獄、苦痛、苦悩となります。これは敵の計画によるのです。彼はあなたを今の人生において、そして次の人生においても苦しませたいのです。あなたがわたしに服していないなら、彼があなたを支配します。あなたは自分で自分を支配していると信じていますが、あなたはあなたの創造主であるわたしから離れ、悪しき支配者の支配と指導の下にいるのです。
冷静に考えなさい。時間はなくなりつつあります。人間の子どもたちを破壊するために、悪が人類に対してその勢力を結集しています。あなたはなぜこの決断に関して曖昧な態度をとるのですか。あなたがあなたのつくり主から永遠に離れていたいと思うほどまでに、世は満足を与えてくれるものですか。これはあなたが選ぶことです。
あなたがわたしに背く選択をするなら、わたしはあなたの選択を尊重し、永久にあなたをわたしの面前から追放します。あなたの決断はその時、最終的で永遠のものとなり、引き返すことはできなくなります。あなたは誰に仕えるのか、今日選びなさい。あなたの敵でありわたしの敵であるものか、あるいはあなたの創造主であり、神であり、愛するものか。あなたが決めるのです。時はあなたに味方していません。
わたしは永遠なる神です。
ヨハネの福音書(第10章10節)盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺 したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
マタイの福音書(第10章28節)からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
マタイの福音書(第12章31節)だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。
マタイの福音書(第24章12節)不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
ルカの福音書(第10章17節)さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
マタイの福音書(第7章13節)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
主の御言葉:
「わたしがわたしの大切な油の満ちたともしびを取り除いた後、光は消されます。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月5日)
そうです。わたしたちは始めることができます:
子どもたちよ、わたしは永遠の神、栄光ある救い主です。わたしはあなたがたの魂を救うために来ました。わたしはあなたを導き出すために来ました。わたしが来たのは、わたしの子どもたちが豊かに生き始めるために天の栄光を授けるためでした。わたしは進んで自分自身を捧げる神です。わたしはすべてを与えました。わたしは生ける神、救う神、永遠の力であり、わたしはあなたの魂を愛するものです。
あなたと一緒にいる喜びをわたしから永遠に取り上げないでください。わたしは永遠にあなたとともにいられるように死んだのです。わたしはひどい苦しみに耐えました。わたしは打ちのめされました。わたしがあなたを最高の状態、すなわち永遠のわたしの臨在に、永遠に続く美の、わたしの永遠の王国に引き揚げることができるように、わたしは最も酷い悪を経験しました。これは、逆境によって打ち負かされ、罪によって損なわれた、堕落した種族である人類へのわたしの贈り物でした。
わたしが命を与えたわたしの創造物には、その創造主を追い求めるか、わたしの敵を追い求めるかを選ぶことができます。わたしは教師、導き手、慰め主、癒し主、救い主、そして愛する者としてのわたしの心を、迷い出して堕落したわたしの創造物に現すために、大いに愛を示して地にやって来ました。わたしはわたしの大いなる愛を示すために来ました。永遠なる神が、その創造物の罪のために罰せられるべく人間になること、これ以上に表されうる大きな愛はありません。
あなたはこの贈り物を受け入れて、永遠の罰から、すなわち永遠に神から離された一生から救われることができます。あなたはこの贈り物を手に入れることを選ばなければなりません。わたしはそれを惜しみなく与えますが、あなたが来たるべき怒りから救われるための時間はなくなりつつあります。
わたしとわたしの道に対するそのすべての反抗のために、わたしの怒りがこの邪悪な世界に注がれます。神を退けることに対しては支払うべき代償があり、わたしを拒む者たちによって支払いがなされることになります。あなたにはこの争いと恐怖を避けることができますが、あなたはわたしの救いと自由へのわたしの変容(トランスフォーメーション)と引き換えに、何も差し控えることなくあなたのすべてをわたしに差し出さなければなりません。
わたしにはまもなく出発する用意ができています。すべてがわたしに対して邪になってきています。あなたが望むなら、居残って最悪の事態と向き合いなさい。そうでなければ、わたしに真に従う者たちとともに安全へと出てきなさい。わたしはこの選択の自由をあなたに与えます。わたしはだれひとりとして無理やりに連れて行くことはありません。あなたがとどまるならば、わたしの敵は力づくであなたを連れて行くでしょう。あなたは彼の邪悪な計画の中に押し込められるか、それを拒んで死ぬかのいずれかになります。どちらにしても死に繋がるのです。死んで救われるか、死んで破滅するかです。
その信仰のために死ぬ、わたしの患難時代の聖徒たちにとっては容易な時とはなりません。今、命を選んで、この痛みを避けなさい。わたしはあなたをわたしと一緒に連れていき、永遠の美へとあなたを連れて昇ります。この世界が悪を受け入れて完全に暗くなる前には、わずかの時間しかありません。わたしがわたしの大切な油の満ちたともしびを取り除いた後、光は消されます。すると、あなたはかつてなかった暗やみを体験することになります。
わたしはあなたに大声で呼ばわります。離れて来なさい。悪から離れて来なさい。わたしの待ち構える腕の中に走って来なさい。あなたが選ぶのです。わたしをとるのか、わたしに背くのか。世とそれ が表すものすべてをあなたが拒む場合に限ってのみ、わたしは今あなたを連れて行くことができます。これらがあなたが満たさなければならない条件です。それらを満たす者たちはわずかしかいません。行こうとしている者たちはわずかしかいません。
ちょうどノアの時代の失われた世代に対してそうであったように、その申し出はまだ有効です。わたしは公正な神です。あなたには警告が与えられています。これらのことばは時間をかけて証明されるでしょう。
忍耐強く、親切で、辛抱強い、あなたの神
エレミヤ書(第30章19節)彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る。わたしは人をふやして減らさず、彼らを尊くして、軽んじられないようにする。
ヨハネの福音書(第3章2節)この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
使徒の働き(第10章38節)それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。
サムエル記 第二(第22章3節)わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。
主の御言葉:「わたしの意向から外れると、すべての人は悪を行います。」
主の御言葉:
「その大いなる栄光に満ちた神との永遠の美、これがわたしがわたしの教会に始めさせることの終着点です。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月12日)
娘よ、これらのことばを紙に書き留めなさい:
子どもたちよ、わたしです。あなたがたの主です:
わたしはこのようにして来ます。わたしがわたしの婚宴の食卓で、あなたの王として、また花婿としてあなたの前に立つ日が来ます。わたしたちは祝杯をあげてお互いの愛を分かち合います。わたしの真の教会、それはわたしの誠実な花嫁です。
わたしはあなたがた花嫁を見守ります。あらゆる面で忠実で、誠実であり、光に満ち、義を愛する者、あなたがたの主に忠実で、真理を広めて他の者たちを光の中に導き入れる者。これがわたしの教会、わたしに従う者たちです。彼らは、わたしの面前に進んでその命を差し出し、その人生の支配権をわたしに与え、わたしの働きをしてわたしがわたしの王国を建て上げるのを手伝うために、わたしの意向のうちに入ってきます。捕らわれ人を自由にするのを助け、敵を押しとどめ、彼らの一つ一つの動きを管理するわたしの聖なる霊の力により、愛と献身を通して従うべき法をわたしの子どもたちの心に書き、彼らの前におかれた大いなる賞に向かって、義の道に歩みます。その賞とは、栄光に栄光を重ねた終わりまで彼らの父の栄光にある永遠の救いであり、わたしの永遠の愛の光を浴びることです。
その大いなる栄光に満ちた、宇宙の王であり永遠の力なる神との永遠の美、これがわたしがわたしの教会に始めさせることの終着点です。わたしは言葉では表せないほど偉大なものであり、計り知れないほどの豊かさであり、永遠に蓄えられた宝です。時間としては短い断片にすぎないこの人生において、他の何にも増してわたしを優先するわたしの教会には、このことが待っています。
来て、あなたの永遠の王を喜び楽しみ、永遠の豊かさを楽しみなさい。この世は短い舞踏にすぎません。来て、あなたの神と踊りなさい。あなたの心配事を降ろしなさい。不正をあとにしなさい。あなたの衣装を台無しにするのはやめなさい。悪に手を出すのはやめなさい。来て、平安と救いと聖さを知り、きよらかさの喜びを知りなさい。すばらしい明日からその先ずっと、来てわたしと共に支配し、統治しなさい。あなたが今わたしに服するならば、わたしはあなたをわたしの永遠の王国にある大いなる高みに引き上げましょう。
わたしの前にあなたの命を差し出しなさい。わたしにあなたのすべてを差し出しなさい。わたしはあなたを来たるわたしの王国での重要な地位につかせます。そこでは平安と愛と笑いが嵐のように降り注ぎます。それは永遠に続く熱狂的な美の嵐です。
来たるわたしの王国の永遠に続く楽しみとわたしの右側にある喜び に比べると、この人生は色あせます。あなたがわたしの敵であるあなたの魂の邪悪な指揮官のために意図的に行う悪しき願望を放棄しなさい。彼の支配と統治は終わりかけています。この勝ち目のない恐怖で治める指揮官に対してあなたのひざをかがめてはいけません。彼の王国はまもなく破壊されます。あなたが彼の指揮下で進み続けるならば、あなたも共に破壊されることになります。
わたしの永遠の力と支配の下にやって来なさい。わたしは、あなたの人生に悪事をなそうとする彼の権限からあなたを解放しましょう。わたしはあなたをわたしの愛の腕で包み、あなたの頭に冠をのせ、あなたの肩にきよい衣を掛けましょう。あなたは堅い地に、岩の上に立つのです。わたしがその岩です。
あなたは抵抗するのをやめてわたしに従いなさい。わたしがあなたに嘆願する時間はなくなりつつあります。
これはあなたがたの主、救い主、あなたのたましいの師です。
だれでも来る意志のあるものは来なさい。
ヨハネの福音書(第8章12節)イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ルカの福音書(第4章18節)「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
ヘブル人への手紙(第8章10節)それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
詩篇(第16章11節)あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
詩篇(第95章1節)さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
ヨハネの黙示録(第16章15節)- 見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである ―
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月10日)
そうです、娘よ。わたしには続ける用意があります:
わたしは数多くのことばを送り出しています。それは、わたしのことばを心に留めず、わたしの意向のうちに従わない者たちの前途にある困難についての数多くの差し迫った警告のことばです。暗やみが地にのしかかっています。それは、注意して見ている者たちには明らかです。多くの者たちが眠っています。まだ眠っているのです。彼らは自分たちの生きている時代を激しく否定し、彼らの神を退け、わたしの意向から外れて生きています。
多くの者たちが、自分たちはわたしと正しい関係にあると信じていますが、彼らは時勢に注意を払っておらず、わたしが豊富に発している警告を退けています。人々はわたしの警告やわたしのことばが冗談であると思っています。彼らはわたしのことばを読みながら、真理が見えなくなっています。彼らはわたしの霊によって導かれておらず、そのために真理を与えられておらず、尾根の向こうの行く手にあるものを見ることができません。彼らは自分たち自身の未来派的な考え方を基準にして、自分たちには分かっていると信じています。神であるわたしだけが未来に何があるかを正確に知っています。そして、それは人類が自分で計画しているものとはまるで異なるものなのです。 神のかたちにつくられた人間が神から離れ、わたしに尋ねることなく未来を知ることができると信じるなど、想像してみるがよいでしょう。まもなく彼らは、自分たち自身の邪悪な心、欺く心の中に真理を探し求めないで、わたしを追い求めればよ かったと願うことになります。
人間の計画はまもなく砂のように吹き飛び、わたしの真理をつかまない者たちは、まもなく全く別の現実に出会うことになるでしょう。わたしは、報復することなく嘲られたり、馬鹿にされたり、存在しないものとされたりすることのできる神ではありません。わたしには反抗を野放しにすることはできません。それは見つけ出され、対処されなければなりません。非常に多くの者たちが、自分たちの反抗が隠されうるものではなく、すべてのことが明るみに出されて皆の目にさらされることを知るでしょう。
わたしは罪を軽視しません。 誠実な心で求める者たちに与えられるわたしの血の覆いと許しとあわれみがなければ、わたしには罪を黙って赦すことはできません。聖なる神がそのような継続する悪に対応する方法は、他にはないのです。まもなく世は、わたしの聖なる名と、人類のためのわたしの大いなる犠牲、三位一体の人格、そして王権を冒涜したことへの当然の罰を経験することになります。
罪に対しては、また、この罪のために神によって定められた罰に対抗するための神の申し出、すなわち耐え難い十字架の上でわたしの血で買われたいけにえを拒むことに対しては、支払わなければならない代価があります。それは人間の罪のための支払いでした。それなのに、人は、聖なる神の前に犯された蔓延する罪に対する刑の宣告から自分たちを救うために、無償で手に入れることのできるそのものを拒絶するのです。
わたしはわたしの王国への、安全への明確な道を提供しました。わたしはわたしの霊によって、わたしの書にある指示を通して、あなたをそこに導きます。
子どもたちよ、あなたがたはわたしの警告に耳を傾けなければなりません。暗い日々が訪れようとしています。世はその創造主なる神に背を向けています。わたしは人々に知られていません。わたしを 本当に知る者たちはごくわずかしかいません。わたしが、わたしの愛するもの、わたしの真の教会を救うために来るとき、私と共に出て来ようとしている者たちはごくわずかしかいません。
世とそのすべてのわなを拒む者たち、すなわち、神から、また、きよい心でわたしに仕えることから目を惑わせるこの世のものごとを本当に拒む者たちは、ごく一部しかいません。わたしとの親しい関係によってのみ、あなたの衣がきよめられ、あなたの心が一掃され、わたしの臨在のために備えられることができるのです。
わたしを追いなさい。今がその時です。ちょうど世がわたしから逃げていくのと同時に、わたし向かって走ってきなさい。これが安全への方角です。邪悪な人間の心を支配するわたしの敵の手中では、あなたは安全ではありません。わたしの意向から外れると、すべての人は悪を行います。ですから、わたしの意向のうちにいるために、あなたはあなたのすべてを明け渡さなければなりません。あなたの命は十字架に架けられなければならず、「自己」に死んでいなければなりません。そうしてようやく、あなたはあなたのたましの救いを見出すことになります。
これらのことばは真実です。これよりも真実なものはありません。 真理がわたしの敵と彼に属する者たちのよこしまな働きによって消し去られる前に、それを追い求めなさい。あなたの生きている時刻を知り、あなたの神に目を向けなさい。わたしがあなたの唯一の望みです。あなたの命を差し出しなさい。そうすればわたしは、わたしがわたしの教会を引き出すときにあなたを引き上げましょう。
あなたの知性はあなたを救うことができません…
わたしの霊とわたしの血によるあなたの心の変化のみにしか。
マタイの福音書(第7章21節)わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
マタイの福音書(第12章50節)天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
ヤコブの手紙(第4章13節~14節)聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ローマ人への手紙(第8章13節)もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ヤコブの手紙(第4章8節)神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
2012年12月22日(土曜日)
主の御言葉:「まもなく、わたしの永遠なる光が取り除かれると、暗やみだけが地を覆うことになります。」
キリストの誠実なる友人の皆様へ:
マタイの福音書(第7章21節~23節)わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
世の善のすべては、それが神のみこころのうちになければ、良いものではありません。ですから、いかにその働きが素晴らしいものでも、御父のみこころから外れていれば、いわゆる「良い働き」や「素晴らしい働き」も悪の働きと同等なのです。世の中には「善」であると見受けられることが非常にたくさん起こっています。問題は、それが善悪の知識の木からの「善の知識」に分類されることです。
創世記(第2章9節)神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
創世記(第2章17節)しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
なぜ、神のみこころから外れた世にある「善」はそんなにも悪いのでしょうか。それは世が、神の介入と神の完璧なみこころから離れて「善」を行うことができると思い込んでいるからです。世は神から離れて「自己」のプライドでその力を誇示します。そしてこの偉大さの布告は、最終的には無様に倒れることになるのです。サタン もまた光の天使として来て、反キリストの世によって生み出された「善」がどういうわけか肯定的でありうると、人々に納得させることを忘れないようにしましょう。現実には、外面は申し分なく立派に見えるものが、本当は白く塗られた墓のようであるのです。それは外側は美しいけれども、救いをもたらす神の完璧なみこころが少しもなく、死んだ人の骨で満ちています。
コリント人への手紙 第二(第11章14節)しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
どうすれば、良い業が実際に神の良い業であるように、御父のみこころを行うことができるでしょうか。あなたのすべてを主に明け渡してください。すべてをです。将来の計画でさえも。あなた自身の個人的な計画を、あなたの人生のための神のご計画と交換してください。あなたの創造主が、そのお造りになった命にその完璧なご計画を適用してくださるのを想像してみてください。
主の御言葉:
「子どものように来なさい」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月18日)
そうです、スーザン。わたしたちは始めることができます。わたしはあなたにことばを授けましょう:
神であるわたしが実在し、わたしの来臨が間近であることを信じるのを拒む人々の数は驚くべきものです。これは、人々が世と悪魔の魅惑とに興味をそそられているからです。彼は人々を引きつけ、彼らの創造主であるその神から引き離すために、光の天使として来るのです。
人々は迷いから覚めたいとは思っていません。彼らはただ、悪しき通りで、彼らの闇の仲間や彼らの魂の敵と共に走ったり遊んだりしたがるのです。彼は至るところで待ち伏せし、わたしの子どもたちに偽りを吹き込み、彼らを真理からおびき出します。彼は善良で感じ良く見えるものに変装します。どんなものでも、わたしの子どもたちの魂を堕落させ、彼らを地獄に導く偶像になりえます。何であれ、わたしたちの間に来るものは、あなたをわたしのことばから引き離します。わたしとの親密な関係を偽造し、あなたが行うようにとわたしが定めた王国の働きからあなたを奪い、あなたの人生のためのわたしの意向の中心にいることからあなたを奪います。あなた があなたの神以外のあらゆるものに心を注ぐなら、残酷で冷酷なわたしの敵の破壊的な計画と企みによって、これはすべて破壊されるのです。彼の望みは、わたしの子どもたちをできるだけ多く連れ出し、彼らを永遠にその創造主なる神から離して、永久に続く地獄へ誘い込むことです。それは、この短い時間、つまり地上でのあなたの人生における罪とのちょっとしたお楽しみのために支払うには、大きな代価なのです。
わたしの来臨のために自らを備えるために、世と、わたしの敵の邪悪な取引から離れて来る者たちは、ごくわずかしかいないでしょう。わたしが到着して、彼らの主、また師を期待を込めて待っているわたしの用意のできた子どもたちを取り除いた後、多くの者たちは呆然と立ち尽くすことになります。見張っている者たちは目が覚めており、永遠の炎であるわたしの霊の力によって油を注がれ、ともしびが完全に用意できています。
わたしが邪悪な世界から教会を救い出しに来るときには、わたしの霊の力によってきよめられ、わたしのかたちにされ、「自分」に死に、わたしのことばによってきよめられ、わたしの血で洗われた者たちのみ、これらの者たちのみが認められ、自由と安全へと取り出されることになります。他の者たちはみな、わたしは認めません。
来て、あなたの命を委ねなさい。わたしはあなたにわたしの手を差し伸ばします。わたしとともに歩みなさい。来なさい。わたしの道を知り、理解しなさい。あなたの救いの終点まで、すぐ目前にある携挙の日のためにあなたの魂を備えておくことで実現するあなたの永遠の幸せのゴールに至るまで、わたしの書を通して与えられるわたしのことばを受け入れなさい。あなたがわたしに従わないなら、あなたの宿命はまもなく地獄に確定されることになります。
選択は単純なものです。自分でそれを難しくしてはいけません。救いは、十字架でのわたしの大変な努力によって容易にされています。これ以上に単純なものがありえるでしょうか。子どもでさえもこの真理を理解することができます。子どものように来なさい。
子どもたちを守るもの
マタイの福音書(第18章3節)言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
ヨハネの手紙 第一(第2章15節)世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
ペテロの手紙 第一(第5章8節)身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
創世記(第1章27節)神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
エペソ人への手紙(第5章26節)キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
主の御言葉:
「まもなく、わたしの永遠なる光が取り去られると、暗やみだけが地を覆うことになります。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月20日)
2012年12月20日
大切な子どもたちよ。わたしです。あなたがたの主があなたがたに話しかけています:
あなたの主であり救い主である神に心を注ぐ時が来ました。向かうところは他にどこにもありません。他に答えを見つけるところはどこにもありません。世界は真理に枯渇しています。世界は偽りと欺きで満ちています。神から離れてもがいている世には、この先、悲しみと死と腐敗があるだけです。
この先には暗い日々が待ち受けています。あなたは来たるもののかすかな兆候を見ているに過ぎません。それは悪によって、すなわち、邪悪な指導者たち、非道な人間たち、悪魔に触発された恐怖によって支配される世界です。それが、わたしの真理を拒み、その代わりにわたしの敵のもとへと走ることによって、彼らの主、また師としてのわたしを退ける者たちの先にあるものなのです。
悪の支配と主導から自らを振り切りなさい。あなたの完全な服従によってわたしに与えられるわたしの完全な支配と管理の下でのみ、あなたはこの悪の支配から解放されるのです。敵の支配から解放されたいという、あなたの心にある強い願望を通してわたしに完全に服従することによってのみ、あなたの魂と霊はわたしに属することができるのです。あなたの魂と霊は主に引き渡されて、全能なる神から切り離された地上の悪しき王国と、地獄での終わりのない苦しみの未来から引き離され、あなたの命の救いを得るのです。
あなたは選ばなければなりません。あなたはわたしの永遠の王国の一部になることを願いますか。それとも、あなたが生まれた時から走り続けてきた広い破滅の道を辿り続けることを願いますか。あなただけに、地獄への広い道から立ち去り、狭い道へと、永遠に続くわたしの王国へと逃れる決心をすることができるのです。
わたしの天の王国での楽しみである永遠の美と自由への狭い道、このたった一つの小道にのるためには、たった一つの方法しかありません。悔恨の心と、また、永遠にわたしの主導とわたしとの交わりを持ちたいという誠実な願いをもって、ひざをかがめてわたしの前に来なさい。これが真にすべての人の前にある選択なのです。 ほとんどの者たちがこの選択を無視し、脱落し、世とわたしの敵とによって気を取られています。ほとんどの者たちが、彼らの創造主である神から、また、わたしの書、わたしのことばによるわたしの指示から逃げ去りたいという願望のため、及びその反抗的な心のために、知識の欠如と人間の伝統によって欺かれています。
まもなく、世が悪と恐怖に、また、わたしの罰による破壊へと向かう間に、わたしはわたしの花嫁としても知られるわたしの真の教会を、この邪悪な世界から安全へと引き離します。その一方で、わたしは世にその思う通りにさせ、わたしの守りの手から離れて走らせます。
わたしと永遠に生きることとわたしの永遠の愛とを選ぶか、永遠の地獄行きかを選びなさい。命はあなたの前に置かれています。それに手を伸ばしなさい。わたしにはそれをあなたの前に置くことしかできません。わたしには、あなたをわたしの愛の中に押し入れることはできません。
わたしの愛を選ぶ者たちには、彼らが受ける喜びに終わりはありません。これはわたしの約束です。わたしのことばがそれを語っていませんか。まもなく、わたしの永遠なる光が取り去られると、暗やみだけが地を覆うことになります。その主とともに来ようとしている永遠の光の中の一人になりなさい。
これは「未来の楽しみ」が語っています。
マタイの福音書(第7章13節)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
ホセア書(第4章6節)わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
マルコの福音書(第7章8節)あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
申命記(第30章15節)見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。
申命記(第30章19節)私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
ピリピ人への手紙(第2章15節)それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
2012年12月23日(日曜日)
主の御言葉:特別なメッセージ:「民にわたしがもうじき来ようとしていることを告げなさい。多くの者が滅びることになるから。」
キリストの誠実なる友人の皆様へ;
私の親しい友人のドナさんが昨夜見た夢と、その夢について主から賜った書簡を公開したいと思います。
ドナさんの記述:昨夜、主が夢で私に現れてくださいました。わたしは主の御顔をはっきりと見ました。主は荘厳で、王にふさわしい衣をまとい、物々しい金の冠をかぶっておられました。主はひざまずいておられました。主は私に「民にわたしがもうじき来ようとしていることを告げなさい。 多くの者が滅びることになるから」とおっしゃいました。私はすぐに目を覚ましました。すると主は私にこうおっしゃいました。「 恐れてはならない。わたしはいつもあなたと共にいるから。」午前4時58分のことでした。
主は私たちに、速やかに主に向かって近づいてほしいと思っておられます。私たちは怠ることなく聖書を読み、毎日祈らなければなりません。油の満ちたともしびを持てるように、携挙される用意ができるように、主のみこころのうちにいられるように祈ってください。どんな時にも、どんなことでも、すべての人を許せるように祈ってください。分かっているものも分かっていないものも、私たちの罪を毎日悔い改めてください。世俗的な興味をすべて捨て、あなたの唯一の望みとして主を追い求めてください。なぜなら、主が私たちの唯一の望みだからです!
翌日ドナさんは私に電話をくれて、彼女の夢での遭遇のことを教えてくれました。私が電話を切ると、主が私に話しかけられ、私に日記帳を手にするようにとおっしゃり、また、彼女の夢の遭遇に関する主のみことばを私が書き取って、このメッセージを彼女の夢とともに皆に配信することを望んでおられるとおっしゃいました。
主の御言葉:
「わたしはもうじき来ます。
わたしの再臨は今や目前に迫っています。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月21日)
スーザン、わたしのことばに耳を傾けなさい。わたしにはことばがあり、それをあなたに書き取って欲しいと望んでいます:
子どもたちよ、わたしです。あなたがたの主です。
わたしは全能の神です。
わたしは光をとるもの、また守るものです。
わたしには打ち明けるべき大きな重荷があります。わたしの心は引き裂かれています。わたしは悲しみで打ちひしがれています。わたしは無念極まりないと言えるほどに打ちのめされています。わたしが語るのを、あなたは聞かなければなりません。
わたしはまもなく来ようとしています。わたしの再臨は今や目前に迫っています。注意をしている者たちは非常にわずかしかいません。彼らは、神であるわたしが口にしたことを守ることや、わたしのことばが実現することを信じたがりません。
来たる時刻には多くの者たちが失われることになります。多くの者たちがわたしの真理を拒みます。多くの者たちが知らぬふりをして世に視線を戻しています。彼らはその神と少しも関わり合いたがりません。彼らは私に背く選択をしてしまいました。彼らはわたしから離れていっています。わたしは取り乱していますが、わたしが叫んでも、彼らにそれは違うと悟らせることができません。
わたしはわたしの民、わたしの使者、わたしのしるし、わたしのことばを通して語ります。すべてのメッセージは民に警告を与えるために発信されました。民はただ、わたしを信じることを拒むのです。わたしは何一つとして運任せにはしていません。警告は豊富にありました。わたしは警告を与える点においては、十分に恵み深くしてきました。わたしは、聞く耳を持つ者たち皆に警告しようとしてきました。わたしはすべての国々で、あらゆる時代の者たちを通して語ってきました。弁解のある者は一人もありえないのです。不従順で、わたしが彼らに色々な方法で送ったわたしの警告のことばを拒んだ者たちは皆、責任を負うことになるのです。
まもなく世は、これらのことばの真実性を目にすることになります。わたしの心は、永遠に失われる子どもたちのことで苦悩のあまりに痛んでいます。この悲しい時刻が間もなく来ようとしています。これは、語られたわたしのことばが実現し、神であるわたしが口にしたことを守るものであることを人々が知ることになる、時の大きな分岐点なのです。
わたしは、最後に残ったわずかな時間を前に、これから立ち返ってわたしに従う者たちのためだけにとどまっています。それからわたしは、忠実で誠実な、災いの前兆を見ているわたしの子どもたちを引き離さなければなりません。そうです。世への欲望に反してわたしを追い求めることに困惑しない、極めて少数の者たちを。これは、おびただしい数の人類に対して、ほんの一握りのものに過ぎません。
わたしは口にしたことばを守るものであり、わたしのことばは今、わたしがそうなると言ったとおりに実現しつつあります。わたしはあなたに、わたしを慕い求める機会、わたしに服する機会を与えています。わたしの敵との関連を拒み、わたしのそばに来なさい。わたしは、わたしのそばに来たがる者を一人として残していくことはありません。あなたには時間がなくなってきています。
わたしには、わたしの輝く栄光を地にもたらし、わたしの選ばれた者たちを恍惚とさせ、彼らをこちらに連れのぼり、彼らを高い地に据える用意ができています。
わたしは、開いている戸が未来永劫に閉まる前に、あなたに来て欲しいのです。
これはあなたの主であり救い主です
全能の神。
ピリピ人への手紙(第2章15節)それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
ヤコブの手紙(第1章17節)すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
ヨエル書(第2章28節)その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
ローマ人への手紙(第14章12節)こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
マタイの福音書(第24章37節~39節)人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
テサロニケ人への手紙 第一(第5章4節~6節)しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
ヨハネの黙示録(第4章1節)その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」
マタイの福音書(第25章’10節)そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
2012年12月30日(日曜日)
主の御言葉:「わたしはあなたを呼び出しています。世と世の道から別たれるように。」
キリストの誠実なる友人の皆様へ:
キリストは誰のために戻って来られるのでしょうか。
2009年3月、主は私に、主が主の民を携挙するためにもうじき戻って来ようとしておられることを人々に警告するようにと告げられました。その一年後(2010年8月)、誰も私の言うことに耳を傾けていないようであることへの苛立ちによる苦悩から、私は車で独りきりのとき、主に、一体なぜ、主が人々に与えるようにと私に告げられたメッセージに誰も注意を払っていないのかを尋ねました。主は即座に私に語られました。主はこうおっしゃいました。「神の大きな働きを経験したことのある者たちはごくわずかしかいません。ソドムとゴモラから助け出された者たちはごくわずかしかいませんでした。ノアの時代に救われた者たちもごくわずかしかいませんでした。イエスが地の上を歩いたとき、イエスが神であると信じた者たちはごくわずかしかいませんでした。そして携挙される者たちもごくわずかしかいないでしょう。」そして私は、ちょうどその翌日、次の聖句に出くわして愕然としました。 それは根本的に同じメッセージだったのです。ルカの福音書(第17章26節~30節)人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。
そして携挙されるのはごくわずかしかいないということについてのこのことばが神から私に与えられて以来、主はその折々に私に「残りの者」、「一握りのもの」、「ごちそうに比べて一口分」だけが携挙されることになるとおっしゃっています。
ごく最近では(2012年12月25日)、主は、ご自身の再臨を待ち望んでしきりに待ちわびている者たちのためだけに戻って来られるのだと私に告げられました。
キリストの再臨が間近であるというメッセージのことであなたと論争したがるまでにこの世に執着して、すっかりくつろいでいる人々に対して、主を待ち望んで身を乗り出して待ちわびている人々をあなたは何人知っていますか。
新約聖書のキリスト者たちは主を待つことについて語りました。彼らは、あなたが長らく不明になっている大切な愛する人を待ち望むであろうように、キリストの再臨を真剣に待ち望んでいました。私たちはなおさら、この終末の時代(私たちは世がキリストを退けていることから今が終末の時代であることを知っています)にあって、熱心に見張っているべきではありませんか。もしもあなたが身を乗り出してキリストの再臨を待ち望んでいないなら、あなたはただ携挙という事象に無関心であるだけではありません。あなたは詰まるところ、キリストの心に無関心であるのであって、ご自分の心を調べたほうがよいのです。なぜなら、主は主の再臨を待ち望んでいる教会を求めておられるからです。
あなたのすべてを明け渡してください。あなた自身の個人的な将来の計画も含めてすべてのことを主の有能な御手の中に置き、この聖句にあるとおり、主にあなたの思いを一新してもらってください。 ローマ人への手紙(第12章2節)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(聖霊の満たしのためにあなたの命を差し出して)油の満ちたともしびを受けるために、ご自分のために聖霊によるバプテスマを主に求めてください。そしてあなたが神に全支配権を渡したために神のご意向があなたの人生を捕らえらるなら、主は、主の大いなる愛とあなたの人生のための主のご計画に比べると、この世はおもしろみのないものであることをあなたに示してくださるでしょう。主は、主の再臨を熱心に待つよう、あなたの心に渇きを与えてくださり、あなたの心は夢中で待ち望むことでしょう。
マルコの福音書(第12章30節)心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
テサロニケ人への手紙 第一(第5章4節)しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
ペテロの手紙 第一(第4章18節)義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
マタイの福音書(第22章14節)招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
「何事も運任せにしてはいけません。わたしの救いの腕に来なさい。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月25日)
始めましょう:
まもなく、世は真理の美しさを見ることになります。それは、決然とした真理であり、永遠に続く真理です。わたしの真理は一貫しており、それは揺らぎません。それは二心のあるものではありません。わたしの真理は堅実です。わたしがことばを与えると、わたしはやり通します。わたしはわたしが語ったことを成し遂げます。わたしがわたしの書において告げてある通りになります。神が始めたことは、誰にも止めることができません。わたしの来臨は時間通り、予定通りです。暗やみが世に襲いかかるというわたしの約束と同様に。
世はその神に従うことを拒否し、わたしの真理、わたしのことばを退けるがゆえに、世界に襲い掛かっている暗やみの証人となっています。反抗は、それに従う者たちすべてを惑わせるのです。光を望む者たちはごくわずかしかいません。それは神の真の光であり、希望のない人間たちの救いのためにわたしの血が流された十字架から出ている、わたしの血の痕跡によって見つけられる安全な道です。
わたしの血の痕跡が、暗く、失われた世界にあって、ただ一つの自由への道なのです。わたしの血、わたしの道、わたしのことば、そしてわたしの指導への完全な服従によるわたしのきよめだけが、わたしの輝かしい王国への道である、安全へと向かう確かな狭い抜け道にあなたを導きます。
あなたは他の何にでもなく、わたしに従わなければなりません。あなたが救われることのできる道は他に何もありません。多くの者が、あなたを狭い道から離れた偽りと欺きに満ちた広い道へと惑わせるでしょう。多くの者が、自分たちは正しい道にいると考えて、正しそうに見える道々に逃れるでしょう。これらの人々は、謝った道、教義、福音、神々、信条に従っています。それらはすべて、わたしの敵の計画と陰謀によって、魂の破壊へと続いているのです。あなたが彼から離れ、わたしに向かって膝をかがめ、彼の邪悪なやり方に従って彼の指示の下で犯した罪の悔い改めをするまでは、彼があなたの主人なのです。
あなたがあなたの人生における彼の邪悪さを振り捨て、より優れた主人を自分の上に望む用意ができて初めて、あなたはあなたの魂の救いを見いだし、永遠の苦しみという約定から離れて、あなたの創造主にしっかりと捕らわれ、安全になるのです。あなたは、この詐欺師であり悪の誘惑者であるものとの関係をいつでも断つことができます。救いを求めてわたしの名を叫びなさい。完全にされたい、もはやわたしの意向に反抗して自分の肉の意志を行うべく虜にされていたくはないという、「切実な願望」を通して自由を強く望みなさい。
あなたは、あなたの救いと、わたしの栄光の王国における永遠の命と自由というわたしの贈り物との狭間に立っています。あなたの防御を捨てなさい。あなたの命をわたしの手の中に置きなさい。あなたが正しい神と顔を合わせるときに責任を負わされることになる罪から解放されるために、わたしにあなたをわたしの血で覆わせなさい。これはすべてあなたのものです。あなたはそれをわたしに求めなければなりません。他の誰にもあなたのためにそれをすることはできません。
わたしがわたしの愛する者を安全へと取り除いた後に悪が地球全体を支配するまで、あなたには少しだけ時間があります。この事象に続いて突然の破壊が起こるので、非常に多くの者たちは救いのための二度目のチャンスを得ることがないでしょう。何事も運任せにしてはなりません。わたしの救いの腕に来なさい。
今でさえ、多くの者たちが永遠に続く地獄と苦しみのうちにいます。あなたが同じ過ちに陥ることなどないと考えてはいけません。へりくだりなさい。
わたしをあなたの主とし、師としなさい。わたしはあなたを地獄の永遠の炎から解放しましょう。わたしのことばは確かです。
わたしがキリストです。
唯一の望み
わたしがそれです
民数記(第23章19節)神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。
マタイの福音書(第7章13節~14節) 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ヨハネの福音書(第14章6節)イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ローマ人への手紙(第4章7節~8節)「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」
テサロニケ人への手紙 第一(第5章3節)人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
ピリピ人への手紙(第2章8節)自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
「わたしはあなたを呼び出しています。世と世の道から別たれるように。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月26-27日)
わたしにはあなたに新しいことばを授ける用意があります:
子どもたちよ、あなたがたの神があなたがたに語りかけています:
真理、わたしの真理、わたしの永遠に続く真理に耳を傾ける者が殆どいなくなる時が来ようとしています。世界はとても魅惑的で、本物らしく、真実らしく見えます。それは心をそそります。それは死です。あなたが世に生きながら世によって堕落させられないでいることはできません。そうするためには、あなたはあなたのすべてをわたしに明け渡し、わたしの霊によって証印を押されなければなりません。 わたしの霊の証印は、あなたを世に対する肉の誘惑から守ってくれることになります。あなたが完全に救われることができるのは、わたしの力によるのみです。この救いの力によってあなたがたの魂はきよめられ、しみのないものとされ、わたしの来臨のための用意ができるのです。
わたしのことばに耳を傾けなさい。あなたがわたしに心を注ぐなら、手立てがないわけではありません。他の卑しいものごとに脇見をするなら、あなたは必ず死にます。わたしを見つけるための道と同様に、わたしが来る前に残っている時間は限られています。あなたには、見つける者のほとんどいない道を進んでいくための時間があまりありません。
これは、あなたがあなたの命を完全にわたしに明け渡さなければならないことを意味します。時間がなくなりつつあるのに、彼らを惑わせるこの人生のもつれから自由になろうとしている者たちは、殆どいません。時間が少ししか残っていないことと、わたしがわたしの花嫁に要求するしみやしわのない衣が必要条件であることを考えると、あなたはあなたの世俗の偶像をすべて投げ捨て、あなたの救い主、創造主、神に、まともに目を向けなければなりません。
あなたの注意はそらされて、地獄に向かう小道に集中しています。それらの小道はあなたには良いもののように見えますが、これらの道は立ち直る望みの全くない永遠の暗やみへとあなたを導き入れているのです。
2012年12月27日
わたしは書簡の残りの部分をあなたに授けましょう:
光の子どもたちよ。自らをわたしのものと呼ぶ者たちよ:あなたの父、あなたの主のもとに来なさい。身をかがめ、へりくだって、古い人を捨てることによって、あなたがわたしの血で買われた救いにふさわしい者であることを示しなさい。あなたの過去を捨て去り、わたしの敵の指揮によって、またあなたの心の邪悪な願望によって犯されたあなたの罪を悔い改めなさい。わたしは、わたしのことを主とし、師としたいと願い、謙虚に服従してわたしの前に身を低くする者たちの思いを新しくします。これがわたしが認める子どもたちです。これが、わたしがわたしの花嫁を引き出して自由にするときに、わたしと共に出てくることになる者たちです。
あなたは夢中になってわたしを見出し、あなたの人生のためのわたしの完璧な意向を見出しなさい。いかなる状況であっても、わたしの敵によってあなたの魂にいかなるダメージが与えられていても、わたしがあなたの器をきよめましょう。わたしは心と思いと体の癒し主です。わたしは傷ついた心を癒し、回復します。わたしには答えがあります。わたしは、自らをわたしに任せる者たちを治め、彼らが愛し、笑い、そして彼らの創造主である神と平安に調和して生きられるよう、彼らを解放します。
世にも増して、富にも増して、その神を愛する謙遜な者たちは幸いです。彼らは神を見ます。他の者たちは皆、外の暗やみに永遠に捨てられることになります。神から切り離されて永遠に失われるのです。まもなく、わたしは心を尽くし、知恵を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてその神を本当に追い求める数少ない者たちを取り戻すために来ようとしています。その数は少ないのです。少数の者たちだけが、わたしの目的のためにわたしの意のままに用いられようと、その命を完全にわたしに引き渡しています。
まもなく世は、わたしに背き、わたしの意向、神の完全な意向に逆らって選択することが何を意味するかを知ることになります。地上でわたしを代表するわたしの民が彼らの間から取り除かれると、世は聖なる神から切り離されることの意味を知ることになります。そして、わたしがわたしのものに提供する守りがもはや地には与えられなくなり、後に残された者たちに破壊がふりかかるため、恐怖が地を飲み尽くすでしょう。
今、安全なところに、光の中に入ってきなさい。わたしはあなたを呼び出しています。世と世の道から別たれるように。あなたが後に残って来たるものに直面するなら、あなたに弁解はありません。
あなたの自尊心を明け渡しなさい。わたしの主導に服しなさい。神の道を学びなさい。あなたは思いがけなく大きな不幸にあいかけています。あなたの破滅と永遠の喪失にいたるまでもあなたの心の中で自尊心に権限を奮わせてはいけません。このことをじっくりと考えなさい。
これは主です。
謙虚さに卓越したもの。
救いに卓越したもの。
マタイの福音書(第7章21節~23節)わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
エペソ人への手紙(第4章30節)神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
エペソ人への手紙(第5章27節)ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
マタイの福音書(第5章8節)心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
あなたがわたしの愛よりも大きな愛を見つけることは 決してありません
2013年1月3日(木曜日)
主の御言葉:恋文
主の御言葉:
「わたしは、人がその堕落した虚しい心の中で真に切望するすべてのものの、絶え間なく流れる源です。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2012年12月30日)
わたしたちは始められます:
わたしはあなたの主であり救い主であるヤフシュアです。わたしは人類皆のために苦悶の死を遂げました。それは全人類へのわたしの約束を果たすため、わたしの敵を撃ち倒すため、捕らわれ人を解放するため、全宇宙にわたしの偉大さを示すため、わたしの優しさとわたしの愛とわたしの尽きない徹底的な愛を示すためでした。わたしはすべてを与えました。それは至難の勤めでした。わたしは血を流しました。わたしの血は流され、全宇宙の大いなる王による謙遜な従順のうちに捧げられました。
わたしは天の住まいを出て、わたしの大いなる愛をわたしの創造物に見せるために、救い主を必要とし、過去にも未来にも永遠に渡ってわたしを受け入れる者たちに向けられた神の心を示すために、人間となって現れるという非常に謙遜な行為のうちに、わたし自身をへりくだらせました。これがわたしの愛の極みでした。それは抑えられたり、制止されたり、押さえつけられたりすることのできない愛です。
わたしの愛は洪水、大洪水、強力な力です。あなたがわたしに近づいてあなたのすべてをわたしに明け渡してからわたしの愛を経験するなら、あなたは、あなたに向かってよどみなく流れるわたしの愛によって変えられるでしょう。それは果てしなく続きます。それは決して止まることがなく、不足しません。それは揺るぎなく、猛烈で、圧倒的な波です。人が見つけようとしても、他ではどこにも見つけられない愛です。世俗的探求においては、一時的に情熱が燃え上がっても、世は物足りない結果に終わり、炭火は消えていきます。というのは、この世は真の愛、すなわち、打たれ強く、不屈で、揺るがず、不朽であり、永遠の炎である愛を提供しないからです。それがわたしの愛です。わたしは愛です。他の愛はすべてわたしが与えるものを真似るだけです。神の心から作り出され、堕落した世界によって真似られたものは、常に不十分です。その根源が、永遠に続く愛の真の源である愛の創造主から出ていないためです。
わたしは神であり、わたしが愛です。わたしのことばは愛です。わたしの犠牲は永遠に続く愛であり、最大限の愛の表明です。来て、愛のうちに生きなさい。わたしの愛の美しさに囲まれなさい。わたしの愛のあり方と愛し方を学びなさい。それは他者を愛すること、赦すこと、そしてあなたの神との平安のうちに生きることです。
わたしにはあなたの知らない愛があります。それは来たるわたしの愛の王国での永遠の愛です。永遠に続く愛と、わたしの右にある楽しみ、神聖さときよらかさ、蓄えられた宝と、あなたの神との永遠の愛と交わりを、あなた自身から奪ってはなりません。来て、完全性、美しさ、赦し、平安を体験しなさい。わたしは、人がその堕落した虚しい心の中で真に切望するすべてのものの、絶え間なく流れる源です。彼らは絶えず切望していますが、決して満たされません。彼らが、すべての真理の源であり、愛の源であり、彼らの神であるわたしを慕い求めないからです。
来て、わたしの腕の中で溶けなさい。わたしは信頼できます。わたしは安全です。わたしは傷つけません。わたしは心の傷ついた者たちを癒します。わたしは過去の深い悲しみの傷をふさぎます。わたしは父のない者たちの父です。やもめたちには夫であり、苦しんでいる者たちには癒し主であり、迷い出した者たちには羊飼いであり、疲れた者たちには慰め主です。わたしは目の見えない者たちには視覚であり、わたしは弱い者たちには強さであり、わたしは孤独な者たちには友であり、わたしは罪人たちには救いです。
あなたがわたしの愛よりも大きな愛を見つけることは決してありません。人はそれを探し求めますが、それは存在しません。わたしが愛です。あなたは、他にどこで本当の愛を見つけることができるでしょうか。多くの者がこの大いなる愛から離れて行ってしまいました。広大な、尽きることのない愛への道は狭いのです。この狭い道を発見する者たちは決して死ぬことがありません。
これはヤフシュア、永遠の愛です。
ルカの福音書(第4章18節)「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
ヨハネの福音書(第10章17節)わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
詩篇(第16章11節)あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
マタイの福音書(第7章14節)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
2013年1月11日(金曜日)
主の御言葉:教会は悪魔の遊び場です
誠実にキリストに従う方々へ:
私たちが終わりの時代にいることは、世界が神に背を向けていることから分かります。私たちには、ぞっとするような悪が行われているのが見えており、私たちを怒らせる悪が、私たちの内にあって私たちに嘘をつかせたり他者を傷つけさせたりするのと全く同じ悪の力であることが分かっています。私たちは、私たちの家族や、友人、同僚たちをあまりにも容易にささいなことで傷つけ、そのことについて考え直しもしません。それから私たちはニュースを見ては、誰かが人質をとったり、自分の家族を殺して自分も死んだりするのを見て恐怖に震え、私たちにはこのような信じがたい悪に共感することはできないと考えます。けれども、神の法則は、神から離れては私たちの義はすべて不潔な着物と同然であると語っています。
神にとっては、少しの罪が受け入れられないことは、多くの罪が正しくないのと同じことなのです。もしも神が、私たちの目にはどんなに些細なものだとしても、罪をすべて正しくないと見なさなかったとしたら、神はまさにどこで線を引かれるでしょうか。どのくらいの罪なら大丈夫で、どのくらいの罪なら行き過ぎなのでしょうか。それは人間の判断の仕方です。それぞれの人が、どのくらいの罪が許容できてどのくらいが許容できないかを因数にして、心の中で自分自身の比率を作り上げます。
ある男性は何とも思わないで妻に対して浮気をし、夜のニュースを見ては、彼が目にすることは驚くほど間違っていると思うかもしれません。それはいつもハリウッドが行うことなのです。いわゆる悪の敵と戦う英雄たちは、口汚い言葉を使い、会ったばかりの女性と寝ます。そして私たちはこれが普通で容認できることであるかのように傍観しています。しかしながら、神にとっては、汚い言葉遣いも姦淫も含めて、すべての罪が邪悪なのです。そうです。テロ行為は明らかに悪ですが、わたしが軽率に誰かの気持ちを傷つけるのも同じなのです。どちらの状況にも、同じ悪の力が働いているのであり、神にとって罪は罪なのです。
神のあわれみ(私たちが受けるにふさわしくない許しを受けること)と恵み(私たちが受けるにふさわしくない贈り物を受けること)もまた、並外れています。私たちが誰かの気持ちを傷つけたにせよ、暴力行為を犯したにせよ、私たちはキリストの血による神の 赦しと恵みを必要とします。驚くべきことには、神にとってはすべての罪が不快なものであるために、いつでも受けることのできる尊いキリストの血は、軽い嘘も、他の誰かの衝撃的な凶悪犯罪も、同様に赦すことができるのです。キリストの尊い血のために神に感謝しましょう。
私たちが私たちの命をキリストに明け渡し、私たちの人生に完全に入ってくださるよう聖霊をお招きすると、聖霊が入ってきてくださり、大きなものであれ小さなものであれ邪悪な行為を犯させようと皆を脅して駆り立てるサタンの悪と私たちが戦うのを助けてくださいます。人は神から離れては、彼らの人生にあるすべての悪を見分けることができず、私たちの正しく聖くきよらかな神にとっては些細なことですらも言語道断で間違っているということが分かりません。私は、神が究極の裁き主であられ、人間がその歪んで混乱した人間の価値体系において裁くのではないことを感謝しています。私は、私たちが真理と私たちの人生のための指針を求めて神に頼ることができることと、私たちがそれを神に求めるだけでよいことを神に感謝します。
神は完璧な裁き主です。なぜなら、神はすべてを見られ、すべてを知っておられ、人間の心の内と動機までも知っておられるからです。そのため、神は絶対的で否定することのできない真の裁きを言い渡すことができるのです。
福音伝道者チャールズ・H.・スパージョン(Charles H. Spurgeon)がその著書「According to Promise(約束に従って)」の中で、神と罪について以下の陳述をしています:
主はまた、人間を彼らの道徳的能力の尺度に従って取り扱うこともありません。「ああ。私がもっと自分を良くすることができたなら、もっと信心深くなれたなら、強い信仰を実践できたなら、私は救われるかもしれない。でも私には力がない。私は信じることができない。私は悔い改めることができない。私は何一つ正しいことができない!」と求道者は言います。ですが、思い出してください。恵みに富む神は、あなたが神に仕える能力の尺度に従ってあなたを祝福するとは約束されておらず、神のみことばに宣言されているとおり、神の恵みの豊かさによるのです。もしも神の贈り物があなたの霊的な強さに従って与えられるとしたら、あなたは何も貰えないでしょう。主なしではあなたには何もすることができないからです
わたしの王国へと救い出される者たちは、ごくわずかしかいません。
主の御言葉:
「あなたがわたしの完璧な意向から外れているなら、あなたの良い行いでさえも不潔な着物のようです。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2013年1月4日)
そうです、スーザン。わたしはわたしの民にことばを授けたいと思います:
子どもたちよ。わたしです。あなたがたの主です。新しい日が訪れようとしています。それは、もうそこまで来ています。それは多くの者たちにとって大いなる楽しみを擁する日であり、さらに多くの者たちには災いと暗やみと悪を擁するものです。
わたしには、あなたに偽りを言うことはできません。わたしの王国へと救い出される者たちはごくわずかしかいません。ふさわしいと見なされる者たちはごくわずかしかいません。わたしの道を望む者たちは、ごくわずかしかいません。彼らの神に完全に服従したがる者たちは、ごくわずかしかいません。実際にわたしの道に従うことを望む者たち、わたしが彼らに要求する人生を送りたがる者たちは、ほんのわずかな数しかいません。
これがわたしの要求するものです。わたしは、わたしに完全に明け渡された命を求めます。わたしは、わたしの前にその命を差し出す者たち、進んですべてをわたしに捧げる者たち、もはやわたしの敵の支配や、神から離れて走ることを望まない者たちを求めます。
その神に従うわたしの子どもたちは、遠い未来のための自分たちの計画すべてに背を向け、彼らの持っているものをすべてわたしの足もとに置く決心をしなければなりません。わたしは、完全で最大限の服従を求めます。これらの子どもたちは、わたしの意向とわたしの導きを望むこと、また、その人生において、そのあらゆる動きにおいてわたしの支配を願い求めることを、自分たちで決心しなければなりません。
この狭い道を歩みたがる者たちは、ごくわずかしかいません。ほんの少数の者たちだけしか、彼らの神が彼らの人生と彼らの出入りを一番良く知っていることを信じません。あなたがわたしの完璧な意向のうちにいて、わたしがあなたのために確保してある人生の計画を生き抜くことができるように、わたしが完全に師とされ、主とされなければなりません。その計画は、あなたをわたしの王国へと、他の何にも増してその神を愛する者たちのためのわたしの永遠の王国に続く狭い小道へと導き入れます。義の小道にいて神の完璧な意向のうちにいる者たちだけが、救われることになるのです。
子どもたちよ、あなたがたはわたしの意向のうちに入って来ることができます。それはわたしの教えに従うこと、あなたの神と歩むこと、わたしの顔を慕い求めること、謙遜を学ぶこと、あなたの神のために実を成らせることです。あるいは、あなたには聖なる神に背いて悪の道に従い続けることもできます。あなたが完全に服従していないなら、あなたはわたしに逆らって働いています。あなたは地上でわたしの王国をおとしめているのであり、あなたの周りの人たちの人生に影響を与えているのです。あなたがわたしの完璧な意向から外れているなら、あなたの良い行いでさえも不潔な着物のようです
あなたがわたしを拒み続け、あなた自身の道と意志とを追い続けるなら、わたしはあなたを後に残していきます。もしくは、もっと悪いことには、あなたは突然の破滅に会い、そのとき神から永遠に切り離されたことを知ることになるかもしれません。わたしがわたしの教会を取り戻した後に取り残される者たちは、わたしの敵の暴虐と狂気に直面することになります。 後に残された者たちは、絶対に、一人として「苦しまない」ことはありません。一人として巻き込まずにはおかない大患難の苦しみを、誰もが知ることになります。それは、破壊と恐怖と苦悩の支配力において、大々的かつ徹底的であると見なされます。
あなたの永遠の神とともに住まうために、今、救いへと、救いの確信へと、心と霊の健全性へと到達しなさい。あなたのすべてを明け渡しなさい。すべてをわたしに捧げなさい。すべてか無かです。これがわたしが要求することです。わたしのことばを読みなさい。これらのことばを調べなさい。わたしは真理の神です。
わたしは来ます。用意しておきなさい。
これはあなたの主であり、つくり主である、
全能なる神です。
マタイの福音書(第7章13節)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
マタイの福音書(第24章37節)人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
イザヤ書(第64章6節~7節)私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。あなたは私たちから御顔を隠し、私たちの咎のゆえに、私たちを弱められました。
テサロニケ人への手紙 第一(第5章3節)人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
マタイの福音書(第24章21節)そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
「教会は悪魔の遊び場です。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2013年1月8日)
そうです、娘よ。わたしはあなたに新しいことばを授けましょう:
いと高き神の子供たちよ:
わたしの来るのが近づいています。多くの者たちはわたしのことを嘘つきだと思っています。彼らは心の中でそう信じています。わたしの書は、今ですら実現してきているわたしの真理を描いています。わたしの再臨の時刻が近づいているのに、人々はわたしの真理を拒みたがります。彼らは盲人を導く盲人の手引きです。自分たちで真理を拒むよりもさらにひどいことには、彼らは他の者たち、自らをわたしの名で呼ぶわたしの民をも惑わせています。
彼らは、わたしの意向のうちに入って来て他者を救うために自分たちの命をわたしに用いさせる代わりに、彼らの周りの世が彼らもろとも地獄に行こうとしている間にも、わたしのことばを否定して自宅でくつろいで座っています。わたしの聖なる霊の導きによる真理と引き換えに宗教を押し通すなまぬるい教会にとって、その罰は迅速で大きなものとなるのです。
悪魔は教会で働きます。教会は悪魔の遊び場です。彼は光の天使を装ってこっそりと教会の中を歩き回ります。彼は偽りの言葉と混乱によって人々を欺き、迷わせ、振り回し、引き下ろし、地獄に引きずり込んでいます。非常に多くの者たちが、羊のなりをした狼たちのせいで、今日の教会の壁の内側で脱落していくのです。
どうしてそうなのでしょうか。なまぬるい教会は、わたしが悔い改めと、神への恐れ、自制、完全な服従、世とその道の探求の回避を要求する神であることを信じようとしないからです。これらのことばがあなたには厳しいと感じられるなら、それらは愛情のこもったものなのです。わたしは愛情あふれる神です。わたしはまた、正しく、義であり、真実なるものです。わたしは真理を表し、あなたがわたしの前に立つとき、わたしの裁きは真実なものとなります。たとえ、あなたが間違った惑わしの助言に従ってきたとしても、わたしはやはり正しく裁きます。すべての者が自分自身の責任を負うからです。それぞれの人に、自分自身の救いの責任、すなわち、真理を求め、神を追い求める責任があるのです。
すべての答えは、それを求める者たちのために用意されています。それらはわたしのことばの中に、わたしの書の中に、そして隠れた場所でわたしと時間を過ごすことによってわたしの聖なる霊の助言を求めることの中に存在します。わたしは見つけにくいものではありません。ただし、選択がなされなければならず、あなたにしかそれをすることはできません。あなたは、世の偽り以上に、わたしとわたしの真理を望まなければなりません。あなたが二人の主人に仕えることはできないのです。
時間がなくなりつつあります。暗やみが迫っています。あなたは誰に仕えるのかを選びなさい。サタンは残酷な支配者です。彼の道は地獄と永遠の破滅と苦悩につながります。わたしには嘘をつくことができません。あなたの主であり救い主であるわたしへの完全な明け渡しがなければ、これがあなたが行くことになるところです。わたしを見出し、道を見出しなさい。
真理が語りました。
ローマ人への手紙(第14章12節)こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
ガラテヤ人への手紙(第1章14節~16節)また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、
コリント人への手紙 第一(第2章12節~14節)ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえることだからです。
マタイの福音書(第6章24節)だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
詩篇(第91章1節)いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
2013年1月19日(土曜日)
主の御言葉:「わたしに完全に専心している者たちだけが今、安心できるのです。」
誠実にキリストに従う方々へ:
世界はますます暗くなってきています。政治、人々が「娯楽」と呼ぶもの、他の人たちに対する人々の無関心で冷淡な態度、あらゆる国々における神や道徳的指導者の拒絶、世界的な経済の下方スパイラル、人間主義的・無神論的・異教信仰的・悪魔崇拝的な文化視点の容認、世界が全体として明らかに反キリスト的志向に傾倒しており、神の意向を拒否していることなど、例を挙げると限がありません。
私のもとにはほぼ毎日のように、今後の暗い見通しに悩む人々、及び、人生において遭遇する多種多様な難題に悩む人々からの便りが届きます。とりわけ、キリストの花嫁と、本当に神を慕い求めている人たちが、敵によって打ちのめされているのです。私の言うことを聞いてください。苦闘しているのはあなただけではありません。あなたの人生が混乱しているように思えるのを不思議がらないでください。神の民の多くが、手厳しく非難されているのです。敵はその最期に臨んで、神の民や、暗やみから光へと立ち返ろうとしている人々を苦しめたがっているのです。
私がこのことを書いているのは、主が戻って来られ、暗やみが地をすっかり包み込んでしまう前のこの終わりの時に、本当に神を慕い求めている人たちに対して敵が仕掛けてくるこの並外れた戦いの中を、彼らが一人きりで走っていると思って欲しくないからです。くじけないでください。あなた自身をキリストの血で覆ってください。その血は無敵なのです。
一年弱前に、主は私を人里離れた場所で、水分だけ摂る40日間の断食に導かれました。最初、私はそれは私の個人的な問題を取り扱うためだけであると考えていました(確かに、主は私の個人的なことを取り扱われました)。しかしながら、私には、主が、後に主の間近な来臨と終わりの時の準備について多くの人々に警告を与える力強い本となる一連の書簡を、私に口述する計画でいらっしゃったことは分かっていませんでした。(その本は「Marriage Supper of the Lamb / 子羊の婚宴」という題名で、こちらから無料でダウンロードしていただけます。https://www.smashwords.com/books/view/162979 ―英語版
https://www.smashwords.com/books/view/434940 ―日本語版)
この断食を体験し始めるにつれて、私が毎日受け取る書簡が、主にとって大変重要なものであることが私には分かりました。そして、私がどうしても40日間を全うしなければならないことも分かりました。4週目に入り、まだ一週間残っているときが、大変苦しいときでした。私は鏡を覗いて、これが終わったときには何か私に残っているものがあるだろうか、このことが私の家族、特に息子を悲しませるのではないかと思い巡らしました。しかし、私には、神が私とともにおられること、そして、私が恐らく私にとって一番安全な場所、まさに主が私を召された場所にいることが分かっていました。私の家族や友人たちは本当に心配していましたが、私は神が私にこれを切り抜けさせてくださることを知っていました。私がこのことを持ち出している理由は、私にはこれをやり通すことができないと思った最も辛かったときに、このように考えたからです。「地獄には、この40日間の断食をしている私と入れ替わりたいと思っている人たちが、100万人はいるに違いない」と。その思いが私を駆り立てました。そして今、私があなたに伝えたいことは、あなたの今の状況がどんなに辛いものでも(それを軽んじるわけではありませんが)、今あなたと立場を交換したいと望む人たちが、地獄には何百万人もいるということです。ですから、勇気を出してください。あなたが主とともにいるなら、主はあなたと共にいてくださるからで す。あきらめないでください。あなたの周りの人たちのために祈るのをやめないでください。絶対にあきらめていはいけません。 (主が今、この聖句をあなたのためにくださいました。詩篇(第23章4節)たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。)
わたしのことばを知り、わたしの道を実践する者たちは、わずかしかいません
主の御言葉:
「あなたの神よりも人間の計画を信じることは忌まわしいことです。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2013年1月12日)
わたしはあなたにことばを授ける用意があります:
子どもたちよ、わたしの来臨は近くなっています。わたしは警告していますが、聞いている者たちはわずかしかいません。彼らはむしろ、将来について人間が語るのを聞きたがります。これは神から離れ、わたしのことば、真理から離れた邪悪なことです。わたしは、わたしの計画と見張るべきしるしとを明らかにしています。あなたはその代わりに、将来に待ち受けていると人間が信じるものを見ることを選びます。これは邪悪なことです。あなたの神よりも人間の計画を信じることは忌わしいことです。
わたしのことばは、わたしが与えておいたしるしがすべて実現するのを見たら、注意をするようにと述べています。しかし、あなたは、人間の未来に何が待ち受けているかを知っている彼らの神を追い求めることのない、卑しい人間たちを信じることを選びます。彼らはわたしに相談するでしょうか。わたしの顔を慕い求めるでしょうか。わたしの道を実践するでしょうか。わたしのことばを読むでしょうか。それとも彼らは、死者や悪魔の言葉を求めることすらし、お互いの邪な企みに聞き入るでしょうか。これはわたしの王国に対する暴虐です。悪が地を縦横無尽に駆け抜けています。
わたしのことばを知り、わたしの道を実践する者たちは、わずかしかいません。真理を望んで神のことばに支持する者たちはわずかしかいません。人に必要なものは、すべてわたしのことばに明らかにされています。それは、迷い出し、もがき苦しんでいる人間たちのための指示において徹底しています。わたしを見出したい者は誰でも、わたしのことばのうちにわたしを見出すことができます。ただし、一人一人が、わたしのことばと、わたしのことばの理解においてあなたを導く聖霊とによって、わたしの教えにある知識と引き換えに世にある邪魔となるものを捨てて押し進むことを望まなければなりません。他に道はないのです。彼ら自身が神から離れている人間の理解を通してではありません。あなたはわたしのことばをこのように理解するのではありません。わたしのことばの知識はすべて、飢えた心を持ってわたしを完全に主とし、師とし、その命を明け渡す者たちによって追求されることができます。
わたしが狭い小道伝いに導き、案内するものです。欺かれてはなりません。他の、わたしの霊から離れた人間の教えはすべて、あなたを破滅へと、永遠の地獄の暗くて広い道へと迷い込ませるのです。わたしの光の中に入ってきなさい。あなたに救いの知識が欠けることのないように、永遠のともしびとわたしの聖霊の油を求めなさい。
わたしの来臨は間近です。わたしが来るのは確実です。わたしが来るときに、油の満ちたともしびを持っていないところを見つけられてはなりません。今は暗い日々です。あなたには油の満ちたともしびが必要です。わたしがわたしの教会を連れ出した後には、多くの者が争ってわたしを知ろうとすることになります。後に残された教会にとっては失意の時となるのです。来たるものを避けるために、今選びなさい。あなたがわたしの警告を軽視するなら、あなたはあなたの決断の報いを受けることになります。わたしは真理を告げなければなりません。
これは未来を知っている主です
ヤコブの手紙(第4章13節~14節)聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
イザヤ書(第31章1節)ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。
申命記(第18章10節~12節)あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行う者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。
コリント人への手紙 第一(第2章13節~14節)この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえることだからです。
ホセア書(第4章6節)わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。
マタイの福音書(第25章4節)賢い娘たちは、自分のともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
「完全にわたしに専心している者たちだけが、今、安心できます。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2013年1月14日)
わたしはあなたに民のためのことばを授けます:
今はわたしの民にとって苦しい時代です。悪が彼らを取り囲んできています。いたる所に悪があります。安全な場所でさえも暗くなってきています。
悪は安全であるべき場所にまで侵入しつつあります。わたしの民、わたしの教会、わたしがわたしの花嫁と呼ぶ者たちよ:わたしはあなたに、わたしがあなたと共にいることを知って欲しいのです。わたしには、あなたが孤独であるかのように感じ、あなたのことを理解してくれる人たちがごくわずかしかいないと感じているのを知っています。恐れてはなりません。あなたがどこへ行こうとも、わたしはいつもあなたと共にいます。今は恐れに満たされている時刻ではありません。
あなたはわたしの民、わたしの真の花嫁です。あなたがわたしにあなたのすべてを捧げるなら、わたしは私たちの間に敵が入るのを許しません。あなたのすべてを明け渡して、平安のうちに暮らしなさい。ここがあなたが平安を見つけることができる場所なのです。嵐の中にあってさえも。
嵐雲が流れ込んできています。悪は今至るところにあります。完全にわたしに専心している者たちだけが、今、安心できます。わたしから目を離さず、わたしに心を注ぐ者たちだけが。他の者たちはみな、未来が非常に陰鬱に見え、非常に暗くなってきている世の不安とともに生きることになります。
間違いなく、困難が湧き上がりつつあります。暗やみが迫りつつあります。しかし、これらの暗雲はあなたの上になくてもよいのです。あなたがわたしにあなたのすべてを明け渡し、すべての道でわたしを信頼するならば、わたしはあなたをこの圧倒するような未来への不安から解放することができます。
わたしは偉大なる解放者です。わたしは、あなたとあなたの周りの者たち皆を暗やみと破滅と死へと陥れたがっている敵の計画から、あなたを解放することができます。わたしは、いつでも解放し、いつでも守り、いつでもあなたを安全へと連れ込む用意のある神です。ただし、あなたがわたしからこれを求めなければなりません。わたしの腕は安全であり、わたしが安全な道筋、狭い道であるけれども、わたしはあなたをこの隠れ場に無理やり押し込むことはできません。あなたがわたしに従うことを決めなければならないのです。
失望してはなりません。わたしはトンネルの先に光を用意しています。安全、永遠に続く平安、憩いの安息地、最も暗い時刻においてさえ護られる場所へと、わたしに従って来なさい。わたしは暗い時代における堅固なやぐらです。手遅れになる前にわたしに目を向けなさい。わたしにあなたを救わせなさい。わたしの教会、わたしの花嫁のうちの一人になりなさい。これらのことばは、この困難な日々にあってあなたを慰めるためのものです。
これはあなたの主、救世主、救い主です
箴言(第18章10節)主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。
ヨハネの手紙 第一(第4章18節)愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
ルカの福音書(第21章26節)人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
2013年1月28日(月曜日)
主の御言葉:「これがわたしのなまぬるい教会です。わたしの口には姦淫の味がするため、わたしは彼女を吐き出します。」
誠実にキリストに従う方々へ:
私たちが自分たちの外に目を向けるなら、私たちは主を仰ぎ望み、光を見つけることができます。けれど、想像してみてください。完璧で清らかで義なる神、その神がご自身の外に目を向けるとき、神がただ一つの光の源であるとすれば、神は何をご覧になるでしょうか。このために、私は、神の被造物が、神の光のために、すなわち、キリストを主とし、師とするために完全に服する人々のうちにある聖霊の満たしのために場所を空けるべく、自身のうちから「自己」を取り除くことが、神にとって非常に大切なことなのだと思います。神はご自身の外に目を向けられ、ご自身の創造物のうちにご自身の映し出された姿をご覧になります。これは神を大変喜ばせることであるに違いありません。
あなたは、主があなたを主の御霊で完全に満たすことができるように、主にあなたのすべてを明け渡していますか。あなたはただ、罪を悔い改めて、神の完璧なみこころのうちにいたいと本気で願う心から、主に求めさえすればよいのです。
愛されている者
(新改訳聖書からのみことば)
雅歌(第5章10節)私の愛する方は、輝いて、赤く、万人よりすぐれ、
ルカの福音書(第23章38節)「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
雅歌(第5章11節)その頭は純金です。髪の毛はなつめやしの枝で、烏のように黒く、
ヨハネの福音書(第19章2節)また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。
雅歌(第5章12節)その目は、乳で洗われ、池のほとりで休み、水の流れのほとりにいる鳩のようです。
ヨハネの福音書(第17章1節)イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。
雅歌(第5章13節)その頬は、良いかおりを放つ香料の花壇のよう。
イザヤ書(第50章6節)打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。
雅歌(第5章13章)くちびるは没薬の液をしたたらせるゆりの花。
イザヤ書(第53章7節)彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
雅歌(第5章14節)その腕は、タルシシュの宝石をはめ込んだ金の棒。
ヨハネの福音書(第20章27節)それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
雅歌(第5章14節)からだは、サファイヤでおおった象牙の細工。
ヨハネの福音書(第20章27節)それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
雅歌(第5章15節)その足は、純金の台座に据えられた大理石の柱。
ヨハネの福音書(第19章33節)しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。
雅歌(第5章15節)その姿はレバノンのよう。杉のようにすばらしい。
イザヤ書(第52章14節)多くの者があなたを見て驚いたように、― その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた ―
雅歌(第5章16節)そのことばは甘いぶどう酒。あの方のすべてがいとしい。エルサレムの娘たち。これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。
イザヤ書(第53章9節)彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。
来て、わたしの血であなたの衣を洗いなさい。
主の御言葉:
「これがわたしのなまぬるい教会です。わたしの口には姦淫の味がするため、わたしは彼女を吐き出します。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2013年1月21日)
娘よ、わたしは民に新しいことばを授けましょう:
いと高きものの子どもたちよ:
世界は暗さを増しています。光が減少してきています。すべての善いもの、清いもの、聖なるものは、脱落していっています。わたしの敵がすべての善いものと清いものとを破壊し、邪悪と暗やみとに置き換えています。彼は、わたしの義と、最も価値あるもの、つまり神の神聖さに対する世の感覚を鈍らせています。
世界は深い暗やみの中へと、外の暗やみの中へと、唯一の真の神から離れた考えや計画と共に、まっすぐに落ちていっています。まもなく、わたしがわたしの教会を取り除き、残るは真の神聖さと神の義とを奪われた世界の恐怖のみとなるとき、この世は口が聞けないほど驚くことになります。
わたしの意向のうちに入ることを拒んで取り残される者たちには、悪夢が訪れようとしています。彼らは、今わたしを拒み、わたしのことば、彼らの人生におけるわたしの主導、そしてわたしに完全に服することを拒むことで、サタンと、反キリストと、その偽預言者との邪悪な連合による統率、圧政に直面させられることになるのです。この連合は悪魔による欺きによって世界をだまし、世界を永遠の地獄への破滅の袋小路へと導いて行きます。そこはわたしの敵の目的地なのです。彼は、彼がつきまとい、支配し、欺くことのできる限りの人々を連れて行くつもりでいます。彼は成功するのです。多くの者が破滅を目の当たりにし、永遠の地獄と苦悩とに落ち込んでいくことになります。
彼とその血に渇いた凶暴な行為を止めるためのただ一つの方法は、わたしの来臨しかありません。その時わたしは、わたしの聖なる軍勢、わたしの教会を伴って地に到着し、わたしの口の剣をもって敵の口をふさぎ、彼を鎖で縛って1000年後に開放するまで地獄に投じます。彼は最終的に、敵の欺きに支配された大多数の人類とともに火の池で終わりを迎えます。これは、人々がその個人の意志をわたしに明け渡すこと、聖霊のバプテスマを受けることによってわたしの聖なる霊の教えに従うことを拒むからです。わたしの子どもたちが進んで彼らの全てをわたしに明け渡すときに生じる、わたしの聖なる霊のバプテスマなしには、わたしがわたしの教会を受け取るために栄光のうちに来るときに、彼らには用意ができていないのです。
救いを求めることとは同じではありません。多くの者が救いを受けていますが、まだ、わたしを彼らの主、そして師としてはいません。これがわたしのなまるぬい教会です。彼らのわたしとの関係は冷めたもので不完全です。わたしは彼らの「すべてのすべて」ではありません。彼らは、聖なるものを世に添えて部分的に持て扱うだけです。彼らの部分的な関係は、その主、また師を少しばかり望みながらも、世と姦淫したがる娼婦のもののようです。完全な関係にあって服するには、わたしでは物足りないのです。
これがわたしのなまぬるい教会です。わたしの口には姦淫の味がするために、わたしは彼女を吐き出します。彼女は汚れのない花嫁ではないので、わたしは彼女をわたしの聖なる王国へとわたしと共に連れ出すことはできません。彼女がその目と思いと心とで、機会のあるごとに世を持て扱うために、彼女の手は汚れています。わたしには我慢なりません。わたしは彼女にわたしのすべてを与えたのに、彼女はわたしたちの寝台に世を連れ込みたがるのです。わたしは彼女に強い嫌悪を感じます。わたしはまもなく来ますが、わたしは彼女をそのなまぬるい教会の祭壇に立たせておいて、なぜ花婿が彼女を後に置いていったのかを思案させます。彼女はわたしを切望し、孤独になり、そして自分が何をしてしまったのかということと、自分がその命を要求する残酷な愛人のもとに残されていることに気がつくのです。
これがなまぬるい教会が直面することになるものです。ああ、なまぬるい信徒たちからなる大いなる教会よ、わたしのもとに戻って来なさい。来て、わたしの血であなたの衣を洗い流しなさい。あなたの命を差し出しなさい。世を後にしなさい。わたしの敵と、そのあなたに対する支配とを拒みなさい。あなたはまもなく取り残されてしまいます。わたしが来るのは迅速です。愚かであってはなりません。あなたのともしびに油を満たしなさい。来て、お金では買えない油をあなたの主から受けなさい。
わたしは杯を飲みました。そして今、わたしはその同じ杯から、あなたのともしびのための純粋な油をあなたに提供します。わたしがあなたの杯をあふれ出るまで満たしましょう。
これはあなたの花婿、
純粋なるもの、聖なるもの、義なるものです。
ピリピ人への手紙(第2章15節)それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
ヨハネの黙示録(第20章1節~3節)また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
ヨハネの黙示録(第20章10節)そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
ヨハネの黙示録(第2章16節)だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。
ヨハネの黙示録(第3章15節~17節)「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
使途の働き(第19章)
わたしに顔を向けなさい、あなたのすべてを明け渡しなさい
主の御言葉:
「わたしの意向から外れてはいけません。さもなければ、わたしはあなたを拒み、切り捨てます。」
(私たちの主からスーザンに賜った御言葉 2013年1月22日)
わたしの子どもたちよ、あなたがたの主が語ります:
わたしは来ます。確かに、わたしは約束しました。そして神が言うところを、神は行うのです。わたしの言うことを信じる者たちはわずかです。これらのことばと励ましによって本当に心動かされるものは少ないのです。わたしには分かります。なぜなら、わたしはすべてを見るからです。わたしは全てを知っており、誰がわたしを追い求め、わたしに従い、他の何ものにも何びとにもまさってわたしを愛するかを知っています。
世を追い求める者たち、わたしが存在することを否定し、わたしの真理を拒絶する者たちを通して答えを求める者たちが、いくらでもいます。もうじき、真理は手に入りにくくなります。すでに、それは消えゆく産物となっています。わたしの真理はお金では買えない貴重な黄金です。わたしの真理は、宇宙の創造主である全能なる神とともに過ごす永遠のいのちにつながるのですから、その価値は測ることができません。この真理の価値は、測ったり計算したりできるものではありません。それは手に入れることができるのに、容易に見つけられるのに、それを捜し求める人々はわずかしかいません。真理に熱心な者たちだけが、心と魂と思いと力を尽くしてそれを捜し求めます。そのすべてを明け渡し、その神にすがりつく者たちだけが。これらの者たちは真理を見つけ出します。それは平安と健全さと永遠の救いの源なのです。
値踏みのできないわたしの真理は、大ぜいの者たちがそう信じてはいても、多くの道を通して見出されたり、置き換えられたりできるものではありません。究極の真理へは、たった一つの真の道しかありません。わたしがその道、狭い道であるのです。わたしに完全に服しなさい。聖なる正しい神の道に対する反逆という罪の行為を通して犯された、すべての人の咎のために十字架にかけられた主に。わたしはわたしの命を捨てました。すべてを与えました。罪に満ちた人類のために、ひどい苦悩に耐えました。わたしは砕かれ、むち打たれ、唾をかけられ、打たれ、そしてわたしはすべての人のための懲らしめとなりました。これが、誰でもその命を捨て、わたしに自らを服従させ、わたしを主また師として選ぶ全ての人の罪のために、わたしの父が受け入れる代価だったのです。
他に道はひとつもありません。わたしの道があるだけです。わたしの贈り物、わたしの支払った代価があるのみです。多くの道があるかのように見えても、わたしと、聖霊のバプテスマを通しての道がただひとつあるのみなのです。
世界は崩壊しつつあります。すべてがうまくいっているかのように見えます。それは、あなたが見て知ろうとしないからです。あなたは、あなたの生きている時刻を見て知らなくてはなりません。時間はなくなってきています。あなたは、あなたの生きている時代を見て知らなくてはなりません。これを知るためには、あなたはわたしの書を読まなければならず、読んでいることばの理解を受けるために、わたしの霊から目に塗る薬を受け取らなければなりません。彼だけに、わたしの聖なる書にあることばの意味に対して、あなたの目を開くことができるのです。これは、起ころうとしていること、つまり用意のできたわたしの花嫁の救済、および、わたしに背く選択をして後に残される者たちのために計画された患難に対して備えるのに、必要不可欠なことです。
わたしに顔を向けなさい。あなたのすべてを明け渡しなさい。神の完全なる意向のうちに保護を見出しなさい。わたしの意向から外れてはなりません。さもなければ、わたしはあなたを拒み、切り捨てます。
今、来なさい。あなたの神と和解して生きなさい。
わたしはあなたを愛しています
主ヤフシュア
民数記(第23章19節)神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。
詩篇(第85章10節)恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。
コリント人への手紙 第一(第6章20節)あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
マタイの福音書(第7章21節)わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
すぐ間近にある携挙に備えてください。
スーザン・デイヴィスによる著書をすべてお読みください:
Bride of the Christ – Prepare Now!
キリストの花嫁 - 今、備えなさい!
Rapture or Tribulation
携挙か患難か(未邦訳)
Marriage Supper of the Lamb
子羊の婚宴
I Am Coming, Volume 1
I Am Coming, Volume 2
I Am Coming, Volume 3
I Am Coming, Volume 4
I Am Coming, Volume 5
I Am Coming, Volume 6
www.amazon.comにて、文庫本およびkindle電子書籍としてお求めいただけます。(英語のみ)
www.smashwords.comにて無料電子書籍(多様)としてご入手いただけます。(英語のみ)
Tag der Veröffentlichung: 20.09.2016
Alle Rechte vorbehalten
Widmung:
NOTICE: You are encouraged to distribute copies of this document through any means, electronic or in printed form. You may post this material, in whole or in part, on your website or anywhere else. But we do request that you include this notice so others may know they can copy and distribute as well. This book is available as a free ebook and mp3 at the website:
http://end-times-prophecy.com
© 2013 by Susan Davis
All Scripture reference and notes are from the King James Version Bible.
ご とお い 他 者の方には、資料の しを印刷物としてで も、電子的にでも、いかなる手法にても配布、配信されることを デいたします。 資料は全であれ部分的であれ、貴方のウェブ サイトや他のいかなる場所においてもめ示いただけます。 ただし、複し配布、配信することが可能であることを他の方せにもお分か りいただけるように、本注意事項を盛り約んでいただくことをお願
いいたします。
© 2013 by Susan Davis(ス ザン デイヴィス)
聖句はすべて新改分聖書第3版(聖書新改©1970,1978,2003新日 本聖書刊行)、および
King James Version(欽定 )より引用されています。